俳優・草刈正雄の人生を大きく揺さぶったNHK「ファミリーヒストリー」。母・草刈スエ子から「父親は朝鮮戦争で戦死した」と聞かされ、父の顔も知らずに育った草刈正雄だったが、番組の調査によって、父ロバート・H・トーラーが戦争から生還し、2013年までアメリカで暮らしていたという事実が明らかになった。加えて、DNA検査によって父方の親族との血縁関係も判明。2026年には本編と特別編がNHKで再放送され、改めて注目を集めている。
2026年11月1日現在、注目すべき放送は8月11日の本編と9月21日の特別編だ。福岡県行橋市にルーツを持つ母方の草刈家、ノースカロライナ州につながる父方のトーラー家、そして70年近い時間を経て実現したアメリカの親族との交流まで、番組で明らかになった家族の歴史を整理する。
この記事の重要ポイントまとめ
- 父親の真相: ロバート・H・トーラーは朝鮮戦争で戦死しておらず、2013年に83歳で亡くなっていた。
- 母親の生涯: 草刈スエ子は福岡県行橋市にルーツを持ち、女手一つで正雄を育てた。
- 父方親族との再会: ジェイ・カラハムとのDNA検査で97%の確率でいとこ関係と判定された。
- アメリカのルーツ: 父の出身地はノースカロライナ州。父の墓も現地にある。
- 2026年の再放送: 8月11日に本編、9月21日にアメリカ訪問を追った特別編が放送された。
【2026年最新】草刈正雄のファミリーヒストリー再放送はいつ?本編と特別編を整理
2026年、NHKは草刈正雄が出演した「ファミリーヒストリー」の本編と特別編をアンコール放送した。
今回の再放送で押さえておきたいのは、父親の存在が判明する本編と、実際にアメリカへ渡って父方親族と対面する特別編が別の作品だという点だ。
2026年の放送日と番組内容
| 番組 | 2026年の放送日時 | 主な内容 |
|---|---|---|
| ファミリーヒストリー 草刈正雄 | 8月11日(火)23:25~翌0:37 | 父親の正体、生存の事実、DNA検査 |
| 草刈正雄特別編~アメリカへ 決意の旅路~ | 9月21日(月)10:10~10:55 | 父方親族との対面、父の墓参り |
NHKオンデマンドの番組情報によると、8月11日の本編は2023年8月放送回のアンコール。9月21日の特別編も2023年12月放送回のアンコールにあたる。
つまり、2026年に新たに判明した父親の消息というわけではなく、2023年に大きな反響を呼んだ2作品が改めて放送された形だ。
本編と特別編は何が違う?
本編の中心は、父親の正体を突き止める調査過程だ。
草刈正雄が母から聞いていた情報は、父親の名前が「ロバート・トーラ」であること、朝鮮戦争で亡くなったこと、そして父方の祖父が郵便局員だったという限られたものだった。
番組スタッフはアメリカ全土を対象に調査を開始。半年以上に及ぶ調査の末、父方の親族を発見する。
一方、特別編はその後の物語だ。
父親の写真を初めて見た草刈正雄が、複雑な思いを抱えながらアメリカへ渡り、伯母ジャニタ・カラハムやいとこたちと対面する。父の墓を訪れ、母が一人で自分を育てた年月にも思いを巡らせる内容となっている。
2026年11月現在、視聴する方法は?
NHKオンデマンドでは、本編と特別編の番組ページが掲載されている。
本編は72分、特別編は45分。NHKオンデマンドの本編ページには、購入後72時間の視聴期間と2027年8月15日の購入期限が表示されている。
放送後のNHK ONEでの見逃し配信と、NHKオンデマンドの有料配信は別のサービスなので注意したい。実際の購入条件は各作品の最新表示で確認する必要がある。
【父親の生存の真相】ロバート・H・トーラーは朝鮮戦争で戦死していなかった
番組最大の衝撃は、草刈正雄が長年信じてきた父親の死について、事実と異なることが判明した点にある。
母・スエ子が伝えていた説明は、次のようなものだった。
「朝鮮戦争で死んだ」
父親の写真もすべて焼いてしまったと説明されていたため、草刈は父の顔を一度も見たことがなかった。
しかし、NHKの調査で判明した父親の名前は、ロバート・H・トーラー(Robert Hunter Toler)。朝鮮戦争から生還し、その後も長くアメリカで生活していた。
父親はどのような人物だったのか
文春オンラインの草刈正雄本人へのインタビューや番組で紹介された情報によると、ロバートはアメリカ空軍に所属していた軍人だった。
所属はアメリカ空軍第1航空郵便隊第24分遣隊。階級は二等軍曹で、福岡県の築城基地に配属されていた。
朝鮮戦争中の1950年には韓国の金浦空軍基地に配属され、1951年1月には築城基地へ戻っていたことが紹介されている。
つまり、戦争で命を落としたのではなく、日本での任務を続けていたのである。
中学生のとき、伯父から父親の生存を知らされていた
興味深いのは、草刈正雄が番組出演まで父親の生存をまったく知らなかったわけではないことだ。
2023年12月の文春オンラインのインタビューで、草刈は中学生のころ、伯父から突然「お前の親父は生きてるぞ」と教えられたと振り返っている。
時期は1965~1966年ごろだったという。
しかし、その話を母親に伝えることはなかった。
草刈自身も、父親が生きていると聞いて特別に会いたいと思ったわけではなかったと説明している。
生まれたときから母と二人で暮らしており、父親という存在が生活に入り込む余地がなかったからだ。
この証言からも、父親の生存を知ることと、実際に父親との関係を築きたいと思うことは別だったことが伝わる。
ロバートは2013年まで生きていた
最終的に判明した父親の生涯は次のとおりだ。
- 名前:ロバート・H・トーラー
- 出身:アメリカ・ノースカロライナ州
- 職歴:アメリカ空軍勤務、帰国後は婦人服販売などの事業
- 死去:2013年、83歳
帰国後はドイツに渡り、ヘルガという女性と結婚。除隊後はノースカロライナ州に戻り、商売を始めた。
事業では苦労も経験したが、2013年に83歳で亡くなったことが番組で明らかにされた。
草刈の母スエ子が亡くなったのは2010年。つまり、父親は母親の死後も3年間生きていたことになる。
【福岡県行橋市のルーツ】母・草刈スエ子と父ロバートの出会いから別離まで
草刈正雄の家族史を理解するうえで欠かせないのが、母・草刈スエ子の生涯だ。
番組では、父親の調査だけでなく、母方の家系についても詳しく調べられた。
母スエ子の故郷は福岡県行橋市
草刈家の戸籍に記載された本籍は福岡県行橋市。
母方の先祖は同地で米や菜種を生産するなど、地域に根差した暮らしを営んでいた。
しかし、草刈正雄の曽祖父にあたる高蔵が始めた天ぷらかまぼこの製造業は、その後の家計を安定させるには至らなかった。
高蔵が亡くなった後、家族は経済的に苦しい状況に陥ったという。
昭和7年(1932年)に生まれたスエ子も、幼いころから苦労を重ねた。
両親の離婚を経験し、奉公に出されるなど、厳しい環境で育った。やがて路線バスの車掌として働くようになる。
この仕事が、後にロバートとの出会いにつながっていく。
父ロバートと母スエ子の出会い
二人が出会ったのは福岡県の築城基地周辺だった。
当時の築城基地はアメリカ空軍の施設で、1957年に日本側へ返還される以前は多くのアメリカ軍関係者が駐留していた。
スエ子は行橋と築城を結ぶ路線でバスの車掌として働いていた。
番組で紹介された二人の出会いは、非常に印象的なものだった。
一人が通るのがやっとの細い橋で、二人が互いに道を譲り合ったことがきっかけだったという。
文春オンラインのインタビューでも、草刈は母からこのエピソードを聞かされていたと話している。
母はロバートについて、勉強家で本をたくさん読む人物だったと息子に伝えていた。容姿についても褒めていたという。
草刈自身は、母が父親を悪く言うことはほとんどなかったと振り返っている。
東京での同棲、そしてアメリカ行きの計画
1951年、ロバートは極東空軍の羽田基地へ配属された。
二人は福岡を離れ、東京で一緒に暮らすようになる。
やがてスエ子は妊娠。二人でアメリカへ渡ることも考えていたが、その計画は実現しなかった。
ロバートはその後、軍の異動によって西ドイツへ向かうことになる。
1952年9月5日、草刈正雄が誕生。
1953年、スエ子は幼い正雄の写真を添えた手紙をアメリカのロバートに送った。しかし、その時ロバート本人は西ドイツにおり、手紙は本人には届かなかった。
父親の姉ジャニタやほかの家族が手紙を読み、その後も日本にいる母子の存在を家族全体には伝えなかったという。
なぜスエ子は小倉で正雄を育てたのか
ロバートが帰国した後、スエ子は日本で正雄を育てる道を選んだ。
番組では、外国人の父を持つ子どもやその家族に対する当時の偏見についても触れられた。
行橋周辺で母子を気にかけていた親族の中には、表立って援助することが難しかった人もいたという。
スエ子はその後、故郷を離れて小倉へ移り、正雄を育てた。
この経緯を知ると、草刈正雄が母親と過ごした時間の背景に、当時の社会事情や経済的な苦労があったことが見えてくる。
母は2010年に亡くなった。正雄がNHKの番組を通して父方の歴史を知ることになるのは、その13年後だった。
【家系図・人物相関表】草刈正雄とロバート・H・トーラーの家族関係
番組で明らかになった家族関係を整理すると、草刈正雄の家系には日本の母方とアメリカの父方という二つの系譜がある。
特に重要なのは、父親の存在だけでなく、父の姉とその子どもまで確認できたことだ。
草刈正雄ファミリーの人物相関表
ジェイ・カラハムとのDNA鑑定で97%の結果
父方親族の発見につながった大きな出来事が、ジェイ・カラハムとのDNA検査だった。
NHKの取材班は、草刈が知っていた父親の名前を手掛かりにアメリカで調査を進めた。
当初は「トーラ」という表記で探していたものの、名前の綴りが不明確だったため、調査対象は膨大な数に上った。
そこで「トーラー」という別の綴りや、父親の出身地がノースカロライナ州だったという過去のインタビュー情報も活用した。
その結果、ロバートの姉であるジャニタ・カラハムにたどり着く。
加えて、ジャニタの息子ジェイと草刈正雄のDNA検査を実施したところ、97%の確率でいとこ関係にあるという結果が出た。
この結果は父親本人との親子鑑定ではない。ジェイが父方の伯母の息子であることを踏まえた、父方の血縁関係を裏付ける検査だった。
この区別は、DNA鑑定の結果を正しく理解するうえで重要だ。
【アメリカで父方親族と再会】ジェイ・カラハムと97歳の伯母が明かした真実
父親の存在が明らかになっただけでは、草刈正雄の長年の疑問は完全には解消されなかった。
父がどのような人生を送ったのか。母との関係はどうなっていたのか。そして、なぜ日本に残された母子とアメリカの家族はつながらなかったのか。
その答えを知るため、草刈はアメリカへ渡った。
ノースカロライナ州で待っていた父方の家族
2023年の特別編では、草刈正雄がアメリカ・ノースカロライナ州を訪れる様子が紹介された。
父方の親族が暮らす地域で、ジェイ・カラハムとその妻デボラらが草刈を迎えた。
ジェイは、草刈にとって父方のいとこにあたる人物だ。
父親がすでに亡くなっていたため、草刈が直接父と会うことはかなわなかった。しかし、父と血のつながった家族と対面することで、自分が知らなかった父方の歴史を知ることができた。
97歳の伯母ジャニタが抱えていた70年越しの思い
特別編で特に印象的だったのが、父ロバートの姉であるジャニタ・カラハムとの対面だ。
ジャニタは、ロバートとスエ子の関係を知る数少ない人物だった。
1953年にスエ子から届いた手紙についても、ジャニタたちが読んでいたことが明らかになった。
しかし、当時ロバート本人はドイツにおり、手紙は本人には届かなかった。
ジャニタは日本にいる母子の存在を知りながら、家族を混乱させることを避けようとし、その事実を長年明かさずにいたという。
2026年5月のテレビ朝日系「徹子の部屋」出演時、草刈はジャニタとの初対面を振り返り、彼女が最初に口にした言葉を紹介した。
「私を許してくれるの?」
草刈はこの言葉を聞き、気持ちが楽になったと語っている。長い間、複雑な思いを抱えていた親族同士が、ようやく直接向き合えた瞬間だった。
父ロバートの墓を訪問
草刈が訪れたのは、ノースカロライナ州ソールズベリー国立墓地にある父ロバートの墓だった。
父の写真を初めて見たときとはまた違う感情が、墓前では込み上げてきた。
そこに眠っているのは、母と自分を残してアメリカへ帰った父親である。
一方で、父がいなかった日本での生活を支えたのは母スエ子だった。
草刈にとって、父の墓を訪れることは、単純に父親を懐かしむ時間ではなかった。母の苦労を思い返しながら、父の人生も受け止めようとする複雑な時間だった。
NHKオンデマンドの特別編紹介でも、父の墓前で草刈が複雑な感情を抱く場面が番組の見どころとして紹介されている。
父親が最後まで日本の母子について語らなかった理由
ロバートは帰国後、ヘルガという女性と結婚し、ノースカロライナ州で生活を築いていた。
一方、ジャニタたちは日本にいるスエ子と正雄の存在を知っていた。
父親が最後まで日本での出来事を家族に詳しく語らなかったことも番組で紹介された。
草刈は文春オンラインのインタビューで、父にも新しい家族がいたことを踏まえ、当時の事情を事実として受け止めていると話している。
ここで大切なのは、父親がなぜ帰国したのかという問いと、なぜ母子との関係が続かなかったのかという問いを分けて考えることだ。
二人でアメリカへ渡る計画があったこと、スエ子からの手紙が父本人に届かなかったこと、父がその後別の家庭を築いたこと。それぞれが積み重なり、長い年月の断絶につながっていた。
【噂と事実を検証】草刈正雄の父親・家族について間違えやすい5つのポイント
草刈正雄のファミリーヒストリーは衝撃的な内容だったため、インターネット上ではさまざまな情報が紹介されている。
しかし、番組で確認された事実と、表現上の誤解が生じやすい情報は区別しておきたい。
1. 父親は本当に朝鮮戦争で戦死したのか?
事実は戦死ではない。
ロバート・H・トーラーは朝鮮戦争から生還し、2013年までアメリカで生活していた。
母がなぜ戦死したと伝えたのかについては、母本人が2010年に亡くなっているため、本人から直接聞くことはできない。
2. 草刈正雄は父親本人と会えたのか?
父親本人との対面は実現していない。
ロバートは2013年に亡くなっており、2023年の番組出演時にはすでに故人だった。
草刈が再会したのは父方の伯母やいとこたちであり、父の墓も訪れている。
3. DNA鑑定の97%は何を意味するのか?
ジェイ・カラハムとの親族関係を調べたDNA検査の結果だ。
父親との親子鑑定で97%という数字が出たわけではない。ジェイは父方の伯母ジャニタの息子であり、草刈とはいとこにあたる関係だ。
4. 草刈正雄の出身地は行橋市なのか?
ここも混同されやすい。
草刈正雄は福岡県の旧小倉市で生まれている。一方、草刈家の戸籍上の本籍や母方のルーツは福岡県行橋市にある。
出生地と家系の本籍は同じではない。
5. 2026年の放送は新作なのか?
2026年の8月11日と9月21日の放送は、いずれも2023年に放送された作品のアンコールだ。
本編と特別編を続けて見ることで、父親の発見からアメリカの親族との対面までの流れを理解できる。
【プロの結論】草刈正雄のファミリーヒストリーが伝えた本当の意味
この番組を単なる有名俳優のルーツ探しとして見ると、物語の重要な部分を見落としてしまう。
草刈正雄の家族史には、戦後日本に駐留したアメリカ軍人と日本人女性の関係、外国人の親を持つ子どもへの偏見、国境を越えた家族の断絶、そして年月を経て明らかになる血縁という複数のテーマが重なっている。
血縁を確認することと、家族になることは違う
DNA検査で97%という結果が出たことは、科学的な親族確認の大きな手掛かりになった。
しかし、それだけで70年間の空白が埋まるわけではない。
草刈がアメリカへ渡ったことで意味を持ったのは、数字だけではなく、実際に親族と会い、言葉を交わし、父や母について知らなかった情報を共有できたことだった。
母スエ子の人生にも光が当たった
父親の生存という事実は大きな驚きだったが、番組が描いたもう一つの重要な人物は母スエ子だ。
故郷を離れ、父親のいない子どもを育て、経済的にも社会的にも厳しい環境で暮らした。
草刈は、母が父の悪口をほとんど言わなかったことをインタビューで語っている。
父の人生を知ったことで、母がどのような気持ちで自分を育てていたのかについても、新たな視点を得ることになった。
2023年の放送回がギャラクシー賞テレビ部門の月間賞を受賞したのも、単に意外な事実が明らかになったからではない。長い調査によって、戦争と時代に翻弄された人々の人生を浮かび上がらせた点が評価された。
【草刈正雄のファミリーヒストリー】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:草刈正雄の父親は誰ですか?
A1:アメリカ空軍に所属していたロバート・H・トーラー(Robert Hunter Toler)です。ノースカロライナ州出身で、福岡県の築城基地などに配属されていました。
Q2:草刈正雄の父親は朝鮮戦争で亡くなったのですか?
A2:いいえ。朝鮮戦争から生還しており、2013年に83歳で亡くなっています。2023年放送のNHK「ファミリーヒストリー」で明らかになりました。
Q3:草刈正雄の母親はどんな人ですか?
A3:母親は草刈スエ子さんです。福岡県行橋市にルーツを持ち、若いころは路線バスの車掌として働いていました。正雄を一人で育て、2010年に亡くなりました。
Q4:ジェイ・カラハムは草刈正雄とどんな関係ですか?
A4:ジェイは父ロバートの姉ジャニタ・カラハムの息子です。草刈とは父方のいとこにあたります。DNA検査では97%の確率でいとこ関係と判定されました。
Q5:草刈正雄のファミリーヒストリーは2026年に再放送されましたか?
A5:はい。本編は2026年8月11日、特別編は9月21日にNHK総合でアンコール放送されました。NHKオンデマンドにも両作品の番組ページが掲載されています。
Q6:草刈正雄はアメリカで父親と会えましたか?
A6:父親本人は2013年に亡くなっているため、直接会うことはできませんでした。ただし、父方の伯母ジャニタやいとこのジェイらと対面し、父の墓を訪れています。
まとめ:草刈正雄のファミリーヒストリーは母と父をつなぐ70年の物語
草刈正雄のファミリーヒストリーで明らかになったのは、単に父親が生きていたという事実だけではない。
母スエ子と父ロバート・H・トーラーの出会い、福岡県行橋市から小倉へとつながる母方の歴史、そしてノースカロライナ州に残された父方の親族の存在。これらが一つの家族の歴史としてつながった。
特に重要なのは、父親が朝鮮戦争で戦死したという説明とは異なり、2013年まで生きていたこと。そしてDNA検査によってジェイ・カラハムとの血縁が確認され、父方の家族と実際に対面できたことだ。
2026年の再放送では、本編と特別編を通じて、父親の発見からアメリカでの親族との再会までを改めて振り返ることができた。
長年知らなかった父の人生を知り、母が歩んだ苦労にも改めて向き合った草刈正雄。その姿は、家族の歴史を知ることが、過去を理解し、自分自身の人生を見つめ直す機会にもなることを伝えている。
2026年に改めて見直したい、NHK「ファミリーヒストリー」を代表する印象深い家族の記録である。