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【がま池はどこにある?】元麻布2丁目の住所と一般公開されていない理由

真壁 拓也 真壁 拓也 • 更新: • 公開: • 読了約 22 分
目次

- 場所: 東京都港区元麻布二丁目10-25。江戸時代の山崎家屋敷跡に残る池です。 伝説: 1821年の麻布大火で、大ガマが口から水を吹いて山崎家の屋敷を守ったと伝えられています。 歴史: かつて約500坪あった池は、明治35年(1902年)に大部分が埋め立てられました。 一般公開: 現在はマンションの敷地内にあり、一般公開されていません。 お守り: 十番稲荷神社では、伝説に由来する「上の字御守」と「かえる御守」が授与されています。 2026年最新情報: 港区による湧水調査や、神社の公式情報から現在の状況を確認できます。

【がま池はどこにある?】元麻布2丁目の住所と一般公開されていない理由

がま池

がま池があるのは、東京都港区元麻布二丁目です。

港区が公開している湧水・地下水実態調査では、所在地を元麻布二丁目10-25と記録しています。

この場所は、江戸時代に備中成羽(現在の岡山県高梁市)を領地とした山崎家の屋敷があった一帯です。現在は周辺の土地が住宅地やマンションに変わり、かつての広大な池も小さくなっています。

現在の池はマンションの敷地内に残っている

港区の公式資料によると、がま池は現在、マンションの中庭に一部が残っています。

港区が掲載する昭和34年(1959年)と平成21年度(2009年度)の写真を比較すると、池を囲む環境が大きく変化したことが分かります。

また、十番稲荷神社の公式説明にも、次のように明記されています。

- 池の大部分は埋め立てられている。
- 現存するのは一部のみ。
- マンションの敷地内にある。
- 一般公開はされていない。
- 住民の迷惑になるため、見学は遠慮するよう求めている。

つまり、がま池は歴史的な観光スポットとして自由に入れる場所ではありません。現地を訪れても、マンションの敷地に入って池を探すことはできません。

がま池の場所を訪ねるなら、見学できる場所と区別する

がま池の歴史を知るために元麻布を散策することはできますが、池そのものの見学とは分けて考える必要があります。

港区は地域の歴史を伝える「麻布未来写真館」の一環として、がま池の写真や解説資料を公開しています。

現地の池を見られなくても、昭和時代の写真や区の歴史資料を通じて、かつての姿を知ることができます。

【大がま伝説の真相】文政4年(1821年)の麻布大火と山崎主税助の逸話

がま池の名前を全国的に知らしめているのが、大きなガマガエルによる火伏せ伝説です。

この話の中心人物が、池のあった屋敷の主である山崎主税助(やまざき・ちからのすけ)です。

大ガマが屋敷を火事から守ったという伝説

十番稲荷神社の公式サイトでは、文政4年(1821年)7月2日の出来事として、次のような伝承を紹介しています。

当時、麻布古川付近から大火が発生し、周辺一帯が大きな被害を受けました。

ところが、不思議なことに山崎主税助の屋敷だけは延焼を免れたといいます。

その理由として語られたのが、屋敷の池に住む大きなガマガエルでした。

大ガマが池から水を吹き出し、迫ってくる猛火を退けたというのです。

この話が広まると、山崎家には火事除けのお札を求める人々が次々と訪れるようになりました。

そこで山崎家は、文政4年9月から「上」という一文字を記したお札を人々に授けるようになったと伝えられています。

これが「上の字様」の始まりです。

大ガマはなぜ火を消すことになったのか

もう一つ興味深いのが、大ガマと山崎主税助の出会いに関する逸話です。

伝承には複数のバリエーションがあります。

一つは、山崎家の屋敷で来客と茶を飲んでいた際、菓子が池の方向へ飛んでいく不思議な現象が起こったという話です。

池をのぞくと、大きなガマが菓子を吸い込んでいました。

これに腹を立てた山崎主税助は、池を干してしまおうと考えます。

すると、その夜、大ガマが白衣の老人の姿になって夢枕に現れました。

老人は罪をわび、今後は火事が起きた際に水を吹いて屋敷を守ると約束したといいます。

もう一つは、池の大ガマが山崎家の家臣を池に引きずり込んで命を奪ったため、主税助が退治しようとしたという話です。

こちらは港区の『港区史』通史編・近世(下)にも紹介されている伝承です。

両者に共通するのは、大ガマが山崎家に危害を加えた後、火難を防ぐ存在に変わったという構図です。

文政4年7月2日と4月2日?火災の日付には資料間の違いがある

ここは歴史を調べるうえで注意したいポイントです。

資料 記載されている内容
十番稲荷神社の公式伝承 文政4年(1821年)7月2日の麻布大火
港区『新修港区史』 文政六年(1821年)4月2日と記載
港区『港区史』近世編 文政4年(1821年)9月の「上の字様」の現存資料に言及
十番稲荷神社の伝承 文政4年9月からお札を授与したと説明

特に港区の『新修港区史』には「文政六年(1821年)」という、元号と西暦が一致しない表記があります。文政6年は1823年に当たるため、この部分には明らかな年代上の不整合があります。

一方、十番稲荷神社の伝承では7月2日と記され、港区の別の歴史資料では4月2日という異なる日付が登場します。

したがって、大火の正確な日付については、伝承の記載を一つの確定した史実として扱わないことが大切です。

ただし、文政4年9月の日付がある「上の字様」の資料が現存することは、港区の歴史研究によって紹介されています。

大ガマが実際に火を消したかどうかとは別に、江戸時代に火難除けのお札が信仰を集めていたことには歴史的な裏付けがあります。

【約500坪から現在の姿へ】がま池の歴史と湧水・地形の秘密

がま池の魅力は、伝説だけではありません。

この池は、かつての麻布が現在とは大きく異なる自然環境を持っていたことを伝える場所でもあります。

かつては約500坪の広大な池だった

十番稲荷神社の公式説明によると、がま池の面積はかつて約500坪でした。

平方メートルに換算すると約1,650平方メートルです。

池の周囲は深い樹林に囲まれ、日照りが続いても水が涸れなかったと伝えられています。

現在の住宅街からは想像しにくいものの、江戸時代の元麻布には豊かな水辺と緑が残されていました。

明治35年(1902年)に大部分が埋め立てられた

港区の『港区史』通史編・近代(上)によると、明治中期以降、麻布・赤坂地区の池や水辺は市街化によって大きく姿を変えました。

がま池についても、明治35年(1902年)に大部分が埋め立てられ、住宅地へと変貌しています。

これは単に一つの池が失われたという話ではありません。

東京の都市化によって、武家屋敷の庭園や自然の水辺が住宅地へ転換していった時代の変化を象徴しています。

港区の歴史資料には、昭和6年(1931年)以前に撮影されたがま池の写真も掲載されています。

また、港区立港郷土資料館が提供した昭和34年(1959年)の写真も残されており、池が縮小していく過程をたどる手掛かりになっています。

がま池は現在も湧水なのか?

もう一つの疑問が、現在の池の水です。

港区が実施した「港区みどりの実態調査(第10次)」の湧水・地下水調査では、がま池は自然湧出の湧水として分類されています。

ただし、調査資料には興味深い補足があります。

- 池の周囲は竹林に囲まれている。
- 池の中に明確な湧水地点は見当たらない。
- 大雨の後には池の水位が上昇する。
- 令和2年(2020年)7月・8月に池の浚渫が実施された。
- 現在もポンプによる水の循環が行われている。

浚渫とは、池の底にたまった泥や堆積物を取り除く作業です。

調査資料によると、以前はポンプで水を循環させていたものの、ヘドロが蓄積し、水質や透明度が悪化したため、池の水を抜いて浚渫したとされています。

つまり、現在のがま池は、自然の湧水環境と人工的な維持管理の両面を持つ池なのです。

「昔から湧水が豊富だった池だから、今も完全に自然の状態で水が湧いている」という理解は正確ではありません。

麻布の地形と水の関係

がま池が生まれた背景には、元麻布の起伏に富んだ地形があります。

港区は台地と谷が複雑に入り組んだ地形を持ち、斜面や谷底には地下水が地表に現れる場所が存在します。

港区の2026年の環境基本計画基礎調査でも、区内の湧水は斜面緑地の減少などによって減少していることが指摘されています。

かつての麻布は、現在よりも多くの池や湧水に恵まれた地域でした。

がま池の歴史は、伝説の舞台というだけでなく、都市化によって変化した東京の水辺の歴史でもあるのです。

【山崎主税助・上の字様・十番稲荷神社】伝説を受け継ぐ関係を整理

がま池を深く理解するには、池だけでなく、山崎家とお札、そして十番稲荷神社のつながりを押さえる必要があります。

山崎家はどのような家だったのか

港区の『港区史』通史編・近世(下)によると、山崎家は五千石の交代寄合に属する旗本でした。

交代寄合とは、一般の旗本とは異なる格式を持ち、参勤交代を行う家柄です。

山崎家は万治元年(1658年)以来、備中成羽に陣屋を構え、江戸では18世紀後半以降、麻布一本松付近に屋敷を構えていました。

その屋敷の中にあったのが、がま池です。

山崎主税助という人物は、単なる伝説上の登場人物ではありません。山崎家の家格や江戸での屋敷の所在地は、港区の歴史資料に記録されています。

「上の字様」は実在した江戸時代のお札

上の字様は、中央に「上」という一文字を書いたお札です。

港区の歴史資料によると、このお札には朱印が押され、効能などを記した説明書も添えられていました。

加えて、現存資料からは少なくとも7種類の説明書が確認されています。

最も古いと考えられているものには、文政4年(1821年)9月の年紀があります。

その説明には、火傷の患部をお札でなでることや、火難除け、火防などの効能が記されていました。

また、お札にはがま池の水が使われ、山崎家の家臣が発行を担当していたと説明されています。

つまり、上の字様は大ガマの伝説だけに依存するものではなく、実際に江戸の人々の間で流通していた信仰の対象だったのです。

がま池と関係する人物・場所・信仰の相関表

エンティティ がま池との関係 歴史的なポイント
がま池 山崎家屋敷内の池 かつて約500坪。現在は一部が残る
山崎主税助 屋敷の主 五千石の交代寄合旗本
大ガマ 池の主とされる存在 火事から屋敷を守ったという伝説
上の字様 火難・火傷除けのお札 文政4年9月の年紀を持つ資料が現存
清水家 お札の発行を引き継いだ家臣筋 山崎家の後もお札の伝承を継承
末広神社 お札の授与に関係した神社 戦後に授与が中断
十番稲荷神社 伝説とお守りを継承 昭和50年にかえる守が復活

十番稲荷神社に受け継がれた信仰

現在、がま池伝説に関係するお守りを授与しているのが、東京都港区麻布十番にある十番稲荷神社です。

もともと上の字様は、山崎家から家臣筋の清水家へと引き継がれ、その後、末広神社を通じて授与されるようになりました。

しかし、戦後に授与が中断します。

復活を望む声を受け、昭和50年(1975年)8月に「かえるのお守り」として復活しました。

加えて、平成20年(2008年)元旦から、上の字様も神社に伝わる史料をもとに復刻され、「上の字御守」として授与されています。

現在まで約200年にわたって伝わる信仰の系譜が、ここにあります。

【2026年最新】がま池の見学方法と十番稲荷神社のお守り

2026年11月現在、がま池そのものは一般公開されていません。

一方、伝説に関係する十番稲荷神社は一般の参拝者も訪れることができます。

池を見られないからといって、がま池の歴史に触れる方法がないわけではありません。

がま池を見学することはできる?

一般公開なし

十番稲荷神社の公式案内では、がま池はマンション敷地内にあるため、一般公開していないと明記されています。

見学方法として、次のような行動は避けてください。

- マンションの敷地内に入る。
- 関係者以外立ち入り禁止の場所に入る。
- 建物の隙間や柵の向こうから無理に池を撮影する。
- 住民や管理者に無断で見学を求める。

池を守り、周辺住民の生活環境を尊重することが大切です。

代わりに、港区が公開している昔の写真や歴史パネルを利用すれば、がま池の変遷を知ることができます。

十番稲荷神社の所在地とアクセス



がま池伝説ゆかりの神社
〒106-0045

東京都港区麻布十番1-4-6

電話:03-3583-6250

- 都営大江戸線「麻布十番駅」7番出口から徒歩0分
- 東京メトロ南北線「麻布十番駅」4番出口から徒歩約5分
- 開門・窓口受付時間:9:00~17:00
- 駐車場:なし
出典:十番稲荷神社公式案内。祭礼・繁忙期などは受付時間が変更される場合があります。

上の字御守の初穂料とご利益


上の字御守(上の字様)

初穂料 1,000円
火事除け・火傷除け・諸災難除け
がま池伝説に由来する御神札。現存するがま池の水を使用し、神職が一体ずつ手作業で奉製しています。



かえる御守

初穂料 500円
旅行安全・開運招福
「無事に帰る」「元気に帰る」「若返る」「失くしたものが返る」など、カエルの語呂にちなんだお守りです。


特に上の字御守は、神職が手作業で奉製しており、数に限りがあります。

公式サイトでも、社頭に在庫がない場合があると案内されています。

確実に授与を希望する場合は、参拝前に神社へ確認すると安心です。

なお、公式掲載の初穂料は2026年時点の案内額であり、授与状況や金額は変更される可能性があります。

2026年の最新情報で注目したい港区の湧水調査

2026年には、港区が「港区みどりの実態調査(第11次)」を実施しています。

2026年6月1日号の「広報みなと」によると、調査期間は6月から12月までです。

現地調査では、所有者や管理者の承諾を得て敷地内に入り、樹木や湧水の状況を調べるとしています。

一方、がま池について個別の最新測定結果が公表されたわけではありません。

現時点で参照できる詳しい個別調査は、令和3年度(2021年度)の第10次調査です。

そこでは、がま池は自然湧出の湧水として分類される一方、明確な湧水地点は確認できず、ポンプによる水の循環も記録されています。

したがって、2026年の新しい調査結果が公表されれば、池の水環境を考えるうえで注目すべき資料になります。

【麻布七不思議の一つ】がま池についてよくある誤解と見極め方

がま池には、伝説や都市伝説、歴史的事実が混在しています。

そのため、情報を調べるときには、それぞれを区別することが大切です。

麻布七不思議には正式な七つの決まりがある?

麻布七不思議は、麻布周辺に伝わる奇妙な出来事や不思議な伝説の総称です。

ただし、必ず七つの話だけを指すとは限りません。

東京都立中央図書館のレファレンス協同データベースでも、麻布七不思議の成立年代や構成について、確定的な説明は見つからなかったとされています。

文献によって取り上げられる話が異なり、次のような伝説も知られています。

- がま池
- 善福寺の逆さ銀杏
- 柳の井戸
- 広尾の送り囃子
- 狸穴の古洞
- 長坂の脚気石
- 麻布一本松

このほか、七色椿や六本木などが挙げられる場合もあります。

つまり、麻布七不思議は固定された公式リストというより、地域に伝わる伝説群として受け継がれてきたものです。

大ガマは本当に火事を消したのか?

ここは、伝説と史実を区別する必要があります。

歴史資料から確認できるのは、次のような事柄です。

検証する内容 確認できること
山崎家の屋敷 港区の歴史資料に記録されている
がま池の存在 港区の写真・地図・歴史資料に記録されている
上の字様 江戸時代の現存資料が紹介されている
大ガマの存在 伝説として語り継がれている
大ガマが火を消した事実 超自然的な出来事としての実証資料は示されていない

大ガマが実際に水を吹いて火災を消したという科学的・歴史的証拠は確認されていません。

しかし、山崎家の屋敷に池が存在し、火難除けのお札が発行され、現在まで信仰が受け継がれていることは、地域の歴史として重要です。

伝説の価値は、超自然的な現象が実証できるかどうかだけでは測れません。

江戸時代の人々が火災という大きな災害にどう向き合い、何を心の支えにしていたのか。その生活文化を伝える点にも、がま池の歴史的な意味があります。

【プロの結論】がま池は池の姿だけでなく、麻布の記憶を訪ねる場所

がま池をめぐる歴史には、江戸時代の武家屋敷、麻布大火の伝説、火難除けのお札、明治期の都市化、そして現代の住宅地に残る湧水環境という複数のテーマが重なっています。

特に注目したいのは、池そのものが一般公開されなくなった現在も、上の字様という信仰が十番稲荷神社に受け継がれていることです。

約500坪あった池の大部分は失われましたが、歴史資料や古写真、現存するお札によって、その記憶をたどることができます。

実際に訪れるなら、次の判断基準がおすすめです。

- 伝説や歴史に興味がある人: 港区の歴史資料や古写真を確認し、十番稲荷神社を参拝する。
- お守りに興味がある人: 上の字御守やかえる御守を神社で確認する。
- 池の写真撮影や水辺の観察が目的の人: 一般公開されていないため、訪問先としてはおすすめできない。
- 東京の地形や湧水に興味がある人: 港区の湧水調査や元麻布の地形資料を併せて調べる。

がま池は、単なる怪談の舞台ではありません。

東京の都市化によって失われた自然と、地域の人々が守り続けてきた信仰の両方を伝える場所です。

がま池に関するよくある質問(FAQ)

Q1:がま池は現在どこにありますか?

A1:東京都港区元麻布二丁目10-25にあります。山崎家の屋敷跡にあたる場所で、現在はマンションの敷地内に池の一部が残っています。

Q2:がま池は一般公開されていますか?

A2:一般公開されていません。十番稲荷神社の公式サイトでも、マンション敷地内にあるため見学を遠慮するよう案内しています。

Q3:がま池の大ガマ伝説は実話ですか?

A3:文政4年(1821年)の麻布大火で大ガマが水を吹いて山崎家を守ったという伝説です。池や山崎家、お札の歴史には資料がありますが、大ガマが実際に火を消したことを証明する史料は確認されていません。

Q4:上の字様は現在も手に入りますか?

A4:十番稲荷神社で「上の字御守」として授与されています。公式掲載の初穂料は1,000円です。手作業で奉製されるため、在庫がない場合もあります。

Q5:かえる御守のご利益は何ですか?

A5:旅行安全や開運招福のほか、「無事に帰る」「元気に帰る」「若返る」「失くしたものが返る」など、カエルの語呂にちなんだ願いが込められています。

Q6:がま池はなぜ麻布七不思議と呼ばれるのですか?

A6:大ガマが火事から屋敷を守ったという不思議な伝説が残っているためです。麻布七不思議の一つとして、地域の歴史や民間伝承の中で語り継がれています。

まとめ:がま池の伝説は2026年も麻布に受け継がれている

がま池は、東京都港区元麻布二丁目に残る、江戸時代からの歴史を持つ池です。文政4年の麻布大火と大ガマの火伏せ伝説、山崎主税助の屋敷、約500坪の池、そして上の字様というお札が、その歴史を形づくっています。

現在はマンションの敷地内に一部が残るだけで、一般公開はされていません。しかし、十番稲荷神社の上の字御守やかえる御守、港区が保存・公開する写真や歴史資料を通じて、その文化は今も受け継がれています。

2026年には港区の第11次みどりの実態調査も進められており、都市に残る湧水や緑地の保全という観点からも、がま池の存在は興味深いものです。池を無理に見ようとするのではなく、歴史資料と地域の信仰を通じてその背景を知ること。それが、がま池を訪ねる最も適切な方法です。

主な参考資料

- 港区『港区史』通史編・近世(下)
- 港区『港区史』通史編・近代(上)
- 港区『新修港区史』
- 港区『港区みどりの実態調査(第10次)報告書』
- 港区「麻布未来写真館」
- 東京都立中央図書館「レファレンス協同データベース」
- 十番稲荷神社「がま池とかえる御守・上の字様」
- 十番稲荷神社「御守のご紹介」

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真壁 拓也

アニメ・漫画担当として6年以上の取材経験。anime領域の公式発表・配信元の告知を一次情報として確認し、確認できない情報は記事に含めない方針です。

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