ホーム 芸能ニュース・ゴシップ オルフェーヴルの凱旋門賞はなぜ届かなかった?2年連続2着の真相を徹底解説

オルフェーヴルの凱旋門賞はなぜ届かなかった?2年連続2着の真相を徹底解説

長谷 莉子 長谷 莉子 • 更新: • 公開: • 読了約 22 分
目次

オルフェーヴルの凱旋門賞挑戦は、日本競馬の歴史に残る惜敗として今も語り継がれている。2012年はフランスのソレミアにわずかクビ差で敗れ、2013年は無敗の3歳牝馬トレヴに5馬身差をつけられて2着。日本競馬界が悲願としてきた世界最高峰の舞台で、2年連続の銀メダルに終わった。

両年とも前哨戦のフォワ賞を制し、C.スミヨン騎手が手綱を取ったオルフェーヴル。2012年は直線で一度先頭に立ちながらゴール寸前で差し返され、2013年はトレヴの圧倒的な末脚に屈した。2つの敗戦は、同じ2着でもまったく異なる内容だった。2026年現在もJRAの競走記録に残る公式成績、池江泰寿調教師とスミヨン騎手のコメント、当時のレース分析をもとに、その経緯と敗因、歴史的な価値を検証する。

【挑戦の経緯】オルフェーヴルはなぜ凱旋門賞を目指したのか

オルフェーヴル凱旋門賞

オルフェーヴルは2008年5月14日生まれの栗毛の牡馬。父はステイゴールド、母はオリエンタルアート。栗東の池江泰寿厩舎に所属し、2011年には皐月賞、日本ダービー、菊花賞を制してクラシック三冠を達成した。

同年の有馬記念も制覇。年度代表馬と最優秀3歳牡馬に選ばれ、日本競馬を代表する存在へと成長した。最大の武器は、後方から一気に他馬を抜き去る爆発的な末脚だった。一方、気性面には難しさもあり、能力の高さと扱いの難しさが同居する個性的な競走馬でもあった。

2012年、宝塚記念制覇からフランス遠征へ

2012年の春は阪神大賞典で2着、天皇賞・春では11着と苦戦したものの、6月の宝塚記念で復活勝利を飾る。国内のトップホースとしての実力を改めて示した後、陣営はフランス遠征を決断した。

目標は、フランスのロンシャン競馬場で開催される凱旋門賞。芝2400mで争われる、欧州競馬を代表する国際G1競走である。日本馬による初制覇を期待する声が高まるなか、池江泰寿調教師を中心とした遠征チームは現地での調整を進めた。

騎乗を任されたのはフランスのトップジョッキー、クリストフ・スミヨン騎手だった。日本で主戦を務めてきた池添謙一騎手ではなく、現地の競馬事情やロンシャンのコースを熟知するスミヨン騎手とのコンビで世界最高峰の舞台に挑んだ。

2013年、雪辱を期した2度目の挑戦

2012年の敗戦後もオルフェーヴルの能力に対する評価は揺らがなかった。惜しくも勝利を逃したことで、翌2013年の再挑戦に期待が集まる。

2013年は春の産経大阪杯を勝利し、秋には再びフランスへ。池江厩舎とスミヨン騎手のコンビは継続され、前年の経験を生かした遠征となった。目指したのは、前年のクビ差を乗り越えて日本馬初の凱旋門賞制覇を実現することだった。

この2度の挑戦は、単なる海外遠征ではない。日本の三冠馬が、欧州のトップホースと同じ条件で戦い、世界の頂点にどこまで迫れるかを示す重要な機会だった。

【2012年の結果】ソレミアにクビ差で敗れた歴史的な一戦

2012年10月7日、第91回凱旋門賞。ロンシャン競馬場の芝2400mで行われたこのレースには18頭が出走した。オルフェーヴルは18番ゲートからスタートし、C.スミヨン騎手を背に日本競馬の悲願を背負って走った。

勝利したのはフランスの4歳牝馬ソレミア。オリビエ・ペリエ騎手が騎乗し、勝ちタイムは2分37秒68。オルフェーヴルは2着で、公式記録上の着差はクビ差だった。

直線で先頭に立ち、日本馬初制覇が目前に迫る

大外18番ゲートから出たオルフェーヴルは、前半から無理にポジションを取りに行かず、後方で脚を温存する競馬を選択した。最後の直線に向くとスミヨン騎手が外へ持ち出し、持ち前の瞬発力を一気に発揮する。

その伸びは圧巻だった。先行勢を次々と抜き去り、残り300m付近では先頭に立つ。後続との差も広がり、日本馬による初制覇が現実になるかと思われた。

ところが、最後まで脚を残していたソレミアが外から猛追する。オルフェーヴルとの距離は徐々に縮まり、ゴール直前でついに逆転。日本の三冠馬は、わずかな差で世界の頂点を逃した。

この場面で注目されたのが、ソレミアのオリビエ・ペリエ騎手の冷静なレース運びだ。JBISの現地取材記録では、ソレミアは内で脚をため、オルフェーヴルに一度前へ出られてからも伸び直し、最後に差し切った展開が記録されている。

2012年の敗因は内にもたれる癖と仕掛けのタイミング

レース後、池江泰寿調教師とスミヨン騎手は、オルフェーヴルの走りについて具体的な課題を指摘した。

「早めに抜け出して目標にされた分、交わされてしまいました」

2012年のレース後、池江泰寿調教師のコメントとして報じられた内容。

スミヨン騎手も、直線で先頭に立った後に馬が内側へもたれたことを説明している。右ムチに持ち替えても内側へ寄る動きが続き、最後には再び大きくよれたという。

オルフェーヴルには、先頭に立って目標がいなくなると集中力が緩むような面もあったと分析されている。爆発的な末脚で一気に先頭に立ったことが、結果としてソレミアに目標を与える形になった。

加えて、当日のロンシャンは重い馬場だった。日本の競馬場とは異なる欧州特有の芝と馬場状態は、瞬発力を武器とするオルフェーヴルにとって消耗を強いられる条件だった。大外18番ゲートも含め、複数の要素が重なった一戦だった。

ただし、敗因を単純にスミヨン騎手の仕掛けだけに求めるのは適切ではない。外枠からの進路確保、馬場への対応、馬自身の気性、ソレミアの巧みな立ち回りが複雑に絡み合っていた。

当時の競馬ラボが伝えたスミヨン騎手のコメントには、悔しさが端的に表れている。

「最後の50mで差し返されて、本当に残念です」

C.スミヨン騎手のレース後コメント。

あと一歩で届かなかった2012年の敗戦は、日本の競馬ファンに強烈な印象を残した。

【2013年の結果】トレヴとの5馬身差は何を意味したのか

2013年10月6日、第92回凱旋門賞。オルフェーヴルは前年に続いてC.スミヨン騎手とのコンビで出走した。前年の18番ゲートとは異なり、今回は8番ゲート。前走の反省を踏まえ、改めて万全の態勢で世界の頂点を目指した。

しかし、結果は2着。優勝したのはフランスの3歳牝馬トレヴだった。勝ちタイムは2分32秒04。オルフェーヴルとの着差は5馬身に広がった。

勝ち馬トレヴの圧倒的な末脚

トレヴはティエリ・ジャルネ騎手が騎乗した3歳牝馬。レースではオルフェーヴルより軽い54.5kgの斤量で出走していた。

一方、5歳牡馬のオルフェーヴルは59.5kg。両馬の斤量差は5kgだった。これは年齢や性別に応じた凱旋門賞の負担重量規定によるもので、トレヴにとって有利な条件の一つだった。

レース中盤から終盤にかけて、トレヴは外から進出。オルフェーヴルも追走したが、直線でトレヴが前に出ると、その差は簡単には縮まらなかった。

オルフェーヴルは最後まで脚を伸ばし、3着のアンテロを退けて2着を確保した。しかし、トレヴの加速力は別次元だった。前年のようにゴール直前で逆転される接戦ではなく、勝ち馬の実力を正面から見せつけられる内容だった。

スミヨン騎手が指摘した5kgの斤量差

JAIRSが掲載したJRA広報資料によると、スミヨン騎手はレース後、勝ち馬の末脚と斤量差について次のように説明している。

「5kgの斤量差が、大きかったと思います」

C.スミヨン騎手の2013年レース後コメント。

ただし、同騎手は進路を確保する際に多少締められたものの、大きな影響はなかったとも説明している。つまり、進路の不利だけで5馬身差を説明することはできない。

池江調教師も、レース後には勝ち馬の強さを認めた。公式記録に掲載されたコメントでは、次のように振り返っている。

「勝った馬が強かったとしか言いようがありません」

池江泰寿調教師の2013年レース後コメント。

トレヴはこの勝利だけで終わらなかった。2014年にも凱旋門賞を制し、史上屈指の名牝として歴史に名を刻んでいる。オルフェーヴルが敗れた相手は、一度だけ輝いた伏兵ではなく、世界の頂点に立ち続ける能力を備えた競走馬だった。

【関係者と公式記録】フォワ賞2連勝から凱旋門賞2年連続2着まで

オルフェーヴルの凱旋門賞挑戦を理解するうえで欠かせないのが、前哨戦フォワ賞の成績と関係者の役割だ。2012年、2013年ともに同じロンシャン競馬場の芝2400mで行われるフォワ賞を勝利しており、本番に向けた実績は十分だった。

以下はJRA、JAIRSの競走記録とレース後の関係者コメントを整理したものだ。

対象・時期 公式記録・関係 注目ポイント
オルフェーヴル 21戦12勝。2011年クラシック三冠馬 爆発的な末脚を武器とする日本のトップホース
池江泰寿調教師 栗東所属。両年の遠征を指揮 2012年は早めの先頭進出、2013年はトレヴの能力を評価
C.スミヨン騎手 2012年・2013年ともに騎乗 ロンシャンでの2度の挑戦を担当
2012年9月16日・フォワ賞 1着。2着ミアンドルに1馬身差 凱旋門賞と同じ芝2400mで勝利
2012年10月7日・凱旋門賞 2着。優勝ソレミア。クビ差 直線で先頭に立つもゴール直前で逆転される
2013年9月15日・フォワ賞 1着。スミヨン騎手とのコンビで連勝 2年連続で本番前の前哨戦を制覇
2013年10月6日・凱旋門賞 2着。優勝トレヴ。5馬身差 5kgの斤量差と勝ち馬の圧倒的な末脚
2013年12月22日・有馬記念 1着。オルフェーヴルのラストラン 国内最後のレースを勝利で飾る

フォワ賞の成績は本番への適性を示していたのか

2012年9月16日のフォワ賞では、オルフェーヴルが最後方からレースを進め、直線で抜け出して勝利した。ラジオNIKKEIの競馬実況webによると、勝ちタイムは2分34秒26。2着のミアンドルに1馬身差をつけた。

2013年9月15日のフォワ賞でも優勝。JRAの競走記録では、オルフェーヴルはスミヨン騎手とのコンビで2年連続の勝利を収めている。

フォワ賞は凱旋門賞と同じロンシャンの芝2400mで行われるため、コースへの適応や現地の芝を経験する意味で重要な前哨戦だった。ただし、出走頭数やメンバー構成、レース展開は本番と異なる。フォワ賞で勝ったことが、そのまま凱旋門賞での勝利を保証するわけではない。

2012年はフォワ賞を勝ちながら本番でソレミアに差され、2013年も同じく前哨戦を制しながらトレヴに敗れた。この対比は、前哨戦の勝利だけでは測れない凱旋門賞の難しさを示している。

池江泰寿調教師とスミヨン騎手の役割

池江泰寿調教師は、オルフェーヴルの能力を最大限に引き出すため、フランス遠征の調整を担った。2012年の敗戦後には課題を分析し、翌年の再挑戦へつなげた。

スミヨン騎手は、両年とも実際のレースで手綱を取った。2012年は馬の内にもたれる動きや仕掛けのタイミングが注目され、2013年はトレヴとの能力差や斤量差がレース後の焦点となった。

両者の役割は異なるが、共通していたのは凱旋門賞を勝つための準備を積み重ねたことだ。結果は2着だったものの、2年連続で前哨戦を制し、本番でも上位争いを演じた事実は、遠征チームの高い競争力を示している。

【敗因を徹底検証】2012年と2013年は何が違ったのか

オルフェーヴルの凱旋門賞2連敗を考える際、最も重要なのは、2012年と2013年の敗戦を同じ理由で説明しないことだ。着順はどちらも2着だが、競走内容も勝ち馬との距離も異なる。

2012年は勝利目前で起きた小さな誤差

2012年のオルフェーヴルは、直線で一気に抜け出す能力を発揮した。敗因として挙げられるのは、次の複合的な要素だ。

  • 大外18番ゲート:スタートから位置取りと進路選択に工夫が必要だった。
  • 重い馬場:日本の芝とは異なるコンディションが、末脚を生かすうえで負担になった。
  • 早めの先頭進出:後続に目標を与える形となり、最後に差し返される余地を残した。
  • 内にもたれる動き:直線で内側へ寄る動きがあり、最後の伸びに影響した可能性がある。
  • ソレミアの好騎乗:内で脚を温存し、最後まで伸びる余力を残していた。

特に重要なのは、オルフェーヴルの圧倒的な瞬発力が、必ずしも勝利に直結しなかったことだ。早く抜け出したことで相手に目標を与え、ゴール前で追いつかれる展開になった。

後年、スミヨン騎手も2012年の一戦を振り返り、外枠や馬場状態に加え、仕掛けが少し早かったことを敗因の一つとして挙げている。これはレース映像と当時のコメントを照らし合わせても理解できる部分だ。

2013年はトレヴの能力が一枚上だった

一方、2013年は事情が違う。オルフェーヴル自身も力を出し切ったと池江調教師が振り返っており、スミヨン騎手も大きな騎乗ミスはなかったと説明している。

最大の違いは、トレヴの存在だった。3歳牝馬で54.5kgという条件に加え、直線での加速力は非常に強力だった。オルフェーヴルが追い上げても、その差は縮まらず、最終的に5馬身差となった。

ここで「馬群に包まれたから負けた」「斤量差だけが敗因だった」と断定するのは正確ではない。進路で多少の圧迫があったことはスミヨン騎手も認めているが、本人は大きな影響ではなかったと説明している。斤量差は重要な条件だったものの、トレヴの能力を無視して敗因を説明することもできない。

2つの敗戦から分かること

2012年は、勝てるところまで迫りながら最後の局面で逆転されたレース。2013年は、勝ち馬が圧倒的なパフォーマンスを見せ、力の差が着差に表れたレースだった。

つまり、オルフェーヴルの2年連続2着は、同じ失敗を繰り返した結果ではない。1年目は展開と馬自身の挙動、2年目は勝ち馬の能力と斤量条件が大きな論点となる。

この違いを理解すれば、「オルフェーヴルは凱旋門賞を勝てなかった馬」という単純な評価では、2度の挑戦の本質を捉えられないことが分かる。

【プロの結論】2年連続2着が日本競馬に残した歴史的価値

オルフェーヴルの凱旋門賞挑戦を評価するには、個々のレース結果だけでなく、日本馬の歴代成績の中に位置付ける必要がある。

日本馬の凱旋門賞歴代成績と比較

JRAが2026年版として公開している「JRA所属馬挑戦の歴史」には、1969年のスピードシンボリから続く日本馬の挑戦が掲載されている。

その中で、オルフェーヴルの2着は特に重要だ。1999年のエルコンドルパサー、2010年のナカヤマフェスタも2着に入ったが、オルフェーヴルは2012年と2013年に連続して2着を記録した。

2013年には同じ日本から参戦したキズナも4着に入っている。日本馬が世界最高峰のレースで上位に進出できることを示した年でもあった。

主な日本馬の2着記録を整理すると、次のようになる。

  • 1999年:エルコンドルパサーがモンジューの2着。
  • 2010年:ナカヤマフェスタがワークフォースの2着。
  • 2012年:オルフェーヴルがソレミアの2着。
  • 2013年:オルフェーヴルがトレヴの2着。

このように見ると、オルフェーヴルは単に日本馬として好走しただけではない。異なる相手、異なるレース展開で2年連続して世界のトップ2に入ったという点に、ほかの挑戦馬とは異なる価値がある。

オルフェーヴルのレース映像を見るなら注目したい場面

オルフェーヴルの凱旋門賞レース映像を見直す際は、着順だけでなく、直線での進路と勝ち馬との位置関係に注目したい。

2012年の映像:最後の直線で外から一気に進出し、先頭に立つ場面が最大の見どころだ。その後、ソレミアが差を詰め、ゴール前で逆転するまでの動きを確認すると、クビ差という結果の意味がよく分かる。

2013年の映像:トレヴが勝負どころで進出し、直線で後続を引き離す場面に注目したい。オルフェーヴルが追い上げても差が縮まらないことから、5馬身差という結果の背景が見えてくる。

2013年のJAIRSによるフランス遠征記録には、フランスギャロのレース映像案内も掲載されている。JRAのオルフェーヴル競走成績ページでは、国内レースの映像記録と海外競走の着順を照合できる。

2013年有馬記念で迎えた現役最後のレース

凱旋門賞で2年連続2着となったオルフェーヴルは、2013年12月22日の有馬記念を現役最後のレースに選んだ。

結果は見事な1着。ウインバリアシオンを退け、国内最後の舞台を勝利で締めくくった。JRAの記録によれば、通算成績は21戦12勝。海外では4戦2勝を記録している。

凱旋門賞で勝利できなかったことだけに注目すると、オルフェーヴルの競走生活を過小評価してしまう。国内ではクラシック三冠、有馬記念2勝、宝塚記念などを制し、2015年にはJRAの顕彰馬にも選ばれた。

凱旋門賞の2着は、その輝かしい実績の中でも特別な意味を持つ。日本競馬が世界の頂点に迫った瞬間を2年続けて見せたからだ。

【プロの結論】オルフェーヴルの挑戦から学べるのは、競馬の国際舞台では単純な能力比較だけでは勝敗を予測できないということだ。コース適性、馬場、斤量、ゲート、展開、馬の気性、そして相手の能力。これらが一つでも異なれば、同じ馬でも結果は大きく変わる。

2012年のクビ差を「運が悪かった」の一言で片付けることも、2013年の5馬身差を「力不足」とだけ評価することも、本質を見誤る。2度のレースを別々に分析することこそ、オルフェーヴルという競走馬の真価を理解するための判断基準になる。

【オルフェーヴルの凱旋門賞】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:オルフェーヴルは凱旋門賞で何着だった?
A1:2012年、2013年ともに2着。日本馬として2年連続で凱旋門賞の2着に入った。

Q2:2012年のソレミアとの着差は?
A2:クビ差。オルフェーヴルは直線で先頭に立ったが、ゴール直前でソレミアに差し返された。

Q3:2013年のトレヴとの着差は?
A3:5馬身差。トレヴは54.5kg、オルフェーヴルは59.5kgで、5kgの斤量差があった。

Q4:オルフェーヴルはフォワ賞に勝っていた?
A4:はい。2012年9月16日と2013年9月15日の2回ともフォワ賞を制覇した。いずれも凱旋門賞と同じロンシャンの芝2400mで行われた。

Q5:凱旋門賞で騎乗した騎手は誰?
A5:フランスのクリストフ・スミヨン騎手。2012年と2013年の両方でオルフェーヴルに騎乗した。

Q6:オルフェーヴルの凱旋門賞の敗因は何だった?
A6:2012年は重い馬場、大外枠、早めの先頭進出、直線で内にもたれる動きなどが複合的に影響した。2013年はトレヴの圧倒的な能力と5kgの斤量差が大きな要素だった。

Q7:オルフェーヴルは凱旋門賞以外にどんな実績がある?
A7:2011年に皐月賞、日本ダービー、菊花賞を制してクラシック三冠を達成。2011年と2013年の有馬記念、2012年の宝塚記念なども勝利し、通算21戦12勝を記録した。

まとめ:オルフェーヴルの凱旋門賞2着は日本競馬の財産

オルフェーヴルの凱旋門賞挑戦は、2012年と2013年で異なるドラマを生み出した。

2012年はソレミアにクビ差で敗れ、日本馬初制覇まであと一歩。2013年はトレヴに5馬身差をつけられ、世界のトップホースの圧倒的な能力を見せつけられた。両年ともフォワ賞を勝ち、C.スミヨン騎手と池江泰寿調教師が中心となって挑戦を続けた。

2年連続2着という結果だけを見れば、悲願達成には届かなかった遠征だった。しかし、2012年の勝利目前の走りと、2013年のトレヴとの真っ向勝負は、日本馬の国際競争力を示す重要な記録となった。

2026年に改めて振り返っても、オルフェーヴルの名前は日本競馬の凱旋門賞挑戦史から外せない。勝てなかったという事実と、世界最高峰の舞台で2年続けて2着に入った実績。その両方を正しく評価することが、この名馬の本当の価値を理解することにつながる。

主な参照資料: JRA公式競走成績・2026年版日本馬挑戦史、JAIRSの2012年・2013年凱旋門賞およびフォワ賞公式記録、ラジオNIKKEI、競馬ラボ、集英社『Sportiva』の当時のレース分析。

同じカテゴリの記事

長谷 莉子
コンテンツディレクター 長谷 莉子
プロフィールを見る →

芸能ニュース担当として3年以上の取材経験。geinou領域の公式発表・配信元の告知を一次情報として確認し、確認できない情報は記事に含めない方針です。

おすすめの関連記事