日本野球機構(NPB)の2026年シーズン終了時点の通算本塁打ランキングによると、王貞治は868本で歴代1位。2位は南海ホークスなどで活躍した野村克也の657本で、両者の差は211本です。
3位以下には門田博光の567本、山本浩二の536本、清原和博の525本が続きます。長いプロ野球の歴史のなかで、868本という数字がいかに突出しているかが分かります。
王は1959年に巨人へ入団し、1980年に現役を引退するまで22年間プレーしました。通算成績は次のとおりです。
| 項目 | 記録 |
|---|---|
| 所属球団 | 読売ジャイアンツ |
| 現役期間 | 1959~1980年 |
| 実働年数 | 22年間 |
| 通算試合数 | 2,831試合 |
| 通算打数 | 9,250打数 |
| 通算安打 | 2,786本 |
| 通算本塁打 | 868本 |
| 通算打点 | 2,170打点 |
| 通算打率 | .301 |
| 通算長打率 | .634 |
出典:NPB公式個人年度別成績、日本プロ野球名球会の選手記録、野球殿堂博物館。
注目したいのは、本塁打だけでなく通算打率も.301と3割を超えていることです。王は単純に長打を狙う打者ではありませんでした。2,786安打を記録し、打撃全体の完成度でも歴史的な成績を残しています。
また、通算2,390四球という記録も見逃せません。相手投手から警戒され、勝負を避けられる場面が多かったことも、王の打者としての存在感を物語っています。
【年度別ホームラン数一覧】1959~1980年の巨人時代22年間を総まとめ

王貞治の本塁打数を理解するには、通算868本という合計だけでなく、どの時期にどれだけ打っていたかを見る必要があります。
NPB公式の個人年度別成績を基に、1959年のプロ入りから1980年の引退までの全22シーズンを整理しました。
王貞治の年度別ホームラン数
| 年度 | 本塁打数 | 主な出来事・記録との関係 |
|---|---|---|
| 1959年 | 7本 | 巨人入団、プロ1年目 |
| 1960年 | 17本 | 2年目に成績を伸ばす |
| 1961年 | 13本 | 打撃を模索した時期 |
| 1962年 | 38本 | 一本足打法が誕生、本塁打王 |
| 1963年 | 40本 | 40本台に到達 |
| 1964年 | 55本 | 当時のシーズン最多記録 |
| 1965年 | 42本 | 本塁打王を継続 |
| 1966年 | 48本 | 安定した長距離打者へ |
| 1967年 | 47本 | 本塁打王を継続 |
| 1968年 | 49本 | 首位打者も獲得 |
| 1969年 | 44本 | 打率.345 |
| 1970年 | 47本 | 高水準の本塁打を維持 |
| 1971年 | 39本 | 本塁打王を継続 |
| 1972年 | 48本 | 本塁打王を継続 |
| 1973年 | 51本 | 三冠王を獲得 |
| 1974年 | 49本 | 2年連続三冠王 |
| 1975年 | 33本 | 打撃成績に変化 |
| 1976年 | 49本 | 通算715号でベーブ・ルース超え |
| 1977年 | 50本 | 通算756号を達成 |
| 1978年 | 39本 | 通算記録をさらに更新 |
| 1979年 | 33本 | 現役晩年 |
| 1980年 | 30本 | 現役最終年 |
| 通算 | 868本 | NPB歴代1位 |
出典:日本野球機構(NPB)公式「王貞治 個人年度別成績」。
年度別成績から見える3つの特徴
1つ目は、1962年から1974年までの圧倒的な安定感です。 1964年の55本だけが突出しているわけではありません。1963年から1974年まで、毎年40本以上を記録したシーズンが続いています。
2つ目は、30代に入っても本塁打を量産していたことです。 1973年は51本、1974年は49本。さらに1976年49本、1977年50本と、30代半ば以降もリーグを代表する長距離打者であり続けました。
3つ目は、引退する1980年にも30本を打っていることです。 現役最終年まで本塁打を積み重ねた点は、通算記録を支える重要な要素です。
22年間の平均本塁打数は約39.5本。毎シーズン40本近くを打ち続ける計算であり、868本が一時的な好調だけで生まれた数字ではないことが分かります。
【シーズン最多55本・本塁打王15回】王貞治のタイトル記録がすごい理由
王貞治の代表的な記録として知られるのが、1964年に達成したシーズン55本塁打です。
この年、王は140試合に出場し、472打数151安打、打率.320、55本塁打、119打点を記録しました。本塁打だけでなく、打率と打点でも高い数字を残しています。
55本塁打は現在もNPBのシーズン記録なのか?
ここには、2026年現在の記録を理解するうえで要点があります。
王の55本塁打は1964年当時のシーズン最多記録でしたが、現在のNPBシーズン最多本塁打記録は60本です。2013年にヤクルトのウラディミール・バレンティンが達成しました。
さらに2022年には村上宗隆が56本を記録。2026年シーズン終了時点のNPB公式ランキングでは、王の55本はローズ、カブレラと並ぶ3位タイに位置しています。
| 順位 | 選手 | 本塁打 | 年度 |
|---|---|---|---|
| 1位 | バレンティン | 60本 | 2013年 |
| 2位 | 村上宗隆 | 56本 | 2022年 |
| 3位タイ | 王貞治 | 55本 | 1964年 |
| 3位タイ | タフィ・ローズ | 55本 | 2001年 |
| 3位タイ | アレックス・カブレラ | 55本 | 2002年 |
出典:NPB公式「歴代最高記録・本塁打シーズン記録」。
つまり、王の55本は現在のNPBシーズン最多記録ではありません。しかし、1964年に残した55本という数字は、半世紀以上にわたって歴史的な大記録として語り継がれています。
本塁打王15回という圧倒的な実績
通算868本と並んで注目すべきなのが、本塁打王15回というタイトル獲得数です。
王は1962年から1974年まで13年連続でセ・リーグの本塁打王に輝きました。その後、1976年と1977年にもタイトルを獲得しています。
単年で本塁打王になるだけでも難しいプロ野球において、13年連続という記録は特別な意味を持ちます。対戦投手が王の打撃を研究し、厳しいコースを攻めるようになっても、長期間にわたって本塁打を打ち続けたからです。
1973年・1974年は2年連続三冠王
王は本塁打王だけでなく、首位打者と打点王も同時に獲得する三冠王を2度達成しています。
| 年度 | 打率 | 本塁打 | 打点 |
|---|---|---|---|
| 1973年 | .355 | 51本 | 114打点 |
| 1974年 | .332 | 49本 | 107打点 |
NPB公式の三冠王達成者一覧にも、この2年連続の達成が記録されています。1974年は34歳シーズンで、当時の三冠王最年長記録でもありました。
本塁打を量産するだけでなく、打率と打点でもリーグトップに立つ。王の打撃能力が単なる長距離砲の枠を超えていたことを示す実績です。
【1977年9月3日】通算756号ホームランで世界記録を更新した瞬間
王貞治の野球人生を語るうえで欠かせないのが、1977年9月3日の通算756号本塁打です。
この日、後楽園球場で行われた巨人対ヤクルト戦で、王は通算756本目のホームランを放ちました。それまでの世界記録保持者は、アメリカのメジャーリーグで活躍したハンク・アーロン。通算755本という記録を王が上回った歴史的な瞬間でした。
756号までの主な記録の流れ
| 年月日 | 本塁打数 | 出来事 |
|---|---|---|
| 1976年10月11日 | 715号 | ベーブ・ルースの通算記録を更新 |
| 1977年9月3日 | 756号 | ハンク・アーロンの755本を超える |
| 1977年9月4日 | ― | 第1回国民栄誉賞を受賞 |
| 1977年9月18日 | ― | ハンク・アーロンが来日し、王の記録を祝福 |
この経緯はNPBのセントラル・リーグ略史にも掲載されています。特に9月4日の国民栄誉賞受賞は、日本のスポーツ界における大きな転換点でした。
国民栄誉賞は、王の756号達成をきっかけとして創設された賞です。王はその最初の受賞者となりました。
756号は現在も世界最多記録なのか?
ここも混同されやすいポイントです。
1977年の756号は、ハンク・アーロンが持っていた当時のプロ野球通算本塁打世界記録を更新したものです。その後、メジャーリーグではバリー・ボンズが762本を記録しています。
したがって、現在の王の868本はNPBの通算本塁打歴代1位として評価するのが正確です。756号は当時の世界記録を塗り替えた歴史的な到達点であり、868本は日本プロ野球で積み上げた最終的な通算記録です。
【一本足打法の秘密】王貞治と荒川博が築いた独自の打撃スタイル
王貞治の代名詞といえば、一本足打法です。
打撃の際に片足を大きく上げる独特のフォームは、王の象徴として広く知られています。この打法が確立されたのは1962年。指導に関わった人物が、巨人の打撃コーチを務めた荒川博です。
一本足打法が生まれた背景
プロ入り当初の王は、現在知られているような圧倒的なホームラン打者ではありませんでした。1959年のルーキーイヤーは7本塁打、打率.161。翌1960年には17本塁打と成績を伸ばしましたが、打撃スタイルの確立には試行錯誤がありました。
そこで荒川博との取り組みを通じて生まれたのが、一本足打法です。野球殿堂博物館は、この打法を王の象徴的な技術として紹介しています。また、荒川自身が記した『王選手コーチ日誌 1962-1969 一本足打法誕生の極意』も、その形成過程を伝える資料です。
一本足打法の特徴は、片足を上げることでタイミングを取り、投球に合わせて体を動かす独特のリズムにあります。一般的な打撃フォームとは異なりますが、王にとっては長打力を発揮するための重要な武器となりました。
一本足打法の確立と本塁打数の変化
1962年に一本足打法が誕生した年、王は38本塁打を記録して本塁打王を獲得しました。
その後、1963年には40本、1964年には55本と記録を伸ばしています。フォームの変更と成績向上が重なった時期であり、王の野球人生を大きく変えた転換点だったことが分かります。
重要なのは、一本足打法が単に目立つ構えだったわけではないという点です。長年にわたって結果を出し続けたことで、独自のフォームを高いレベルで再現できる技術として完成させていきました。
【野村克也と徹底比較】通算868本の価値はどれほど突出している?
王貞治の記録を評価するとき、比較対象として必ず名前が挙がるのが野村克也です。
野村もまた、戦後の日本プロ野球を代表する強打者でした。南海ホークスなどで長く活躍し、通算657本塁打を記録しています。捕手として出場しながら、打者としても歴史に残る数字を積み上げました。
王貞治と野村克也の通算成績比較
| 比較項目 | 王貞治 | 野村克也 |
|---|---|---|
| 通算本塁打 | 868本 | 657本 |
| 通算試合数 | 2,831試合 | 3,017試合 |
| 通算打数 | 9,250打数 | 10,472打数 |
| 通算安打 | 2,786本 | 2,901本 |
| 通算打率 | .301 | .277 |
| 現役期間 | 1959~1980年 | 1954~1980年 |
| 本塁打数の差 | 211本上回る | ― |
出典:NPB公式通算本塁打ランキング、日本プロ野球名球会の選手記録。
比較すると、野村は王より186試合多く出場し、通算安打数でも115本上回っています。一方、本塁打数では王が211本も多く、打率も.301対.277と王が上回っています。
この違いは、両者の打撃スタイルやポジションの違いを踏まえて見る必要があります。野村は捕手としてチームを支えながら強打者として活躍し、王は一塁手として圧倒的な長打力を発揮しました。
王貞治の記録を支えた関係者と歴史的な位置づけ
王の868本は、本人の技術だけでなく、指導者や対戦相手、所属球団との関係のなかで生まれた記録です。主要な人物・組織との関係を整理すると、次のようになります。
| 人物・組織 | 王貞治との関係 | 関連する記録・出来事 |
|---|---|---|
| 読売ジャイアンツ | 1959~1980年の所属球団 | 22年間で868本 |
| 荒川博 | 打撃指導者 | 一本足打法の確立に関与 |
| 野村克也 | 歴代通算本塁打2位 | 通算657本、王との差211本 |
| ハンク・アーロン | 当時の世界記録保持者 | 1977年に756号で記録更新 |
| NPB | 日本プロ野球の公式記録管理団体 | 2026年現在も通算1位 |
この関係性から分かるのは、王の記録が単独のシーズン成績ではなく、指導法の革新、長期的な球団での活躍、歴史的なライバルとの競争によって形作られたということです。
【プロの結論】王貞治の868本塁打が今後も特別な記録であり続ける理由
王貞治の868本を評価する際には、3つの視点が欠かせません。
第一に、長期間にわたる再現性です。 22年間の現役生活で平均約39.5本塁打を記録したことは、特定の好調期だけでは説明できません。1960年代から1970年代まで、継続して本塁打を量産できる打撃技術を持っていたことが大きな要因です。
第二に、タイトル獲得の継続性です。 本塁打王15回、13年連続獲得、2年連続三冠王という実績は、通算868本の価値をさらに高めています。単に長く現役を続けた打者ではなく、長期間にわたってリーグの頂点に立ち続けた打者でした。
第三に、技術革新への適応力です。 一本足打法という独自のフォームを確立し、それを長年の実績につなげた点は、野球の技術史という観点からも重要です。
一方、現在の選手と王を比較するときには、試合数、年間の試合日程、球場環境、使用球、投手のレベルなども考慮する必要があります。単純に年間本塁打数だけで優劣を判断するのは適切ではありません。
王の記録を正確に評価したい読者は、次の3点を区別しておくと理解しやすくなります。
- 通算868本:2026年現在のNPB歴代最多記録。
- シーズン55本:1964年当時の最多記録。現在のNPB最多は60本。
- 通算756号:1977年にハンク・アーロンの当時の世界記録を更新した歴史的な本塁打。
この3つはそれぞれ異なる記録です。混同せずに理解することが、王貞治の偉大さを正しく捉えるポイントになります。
【王貞治のホームラン数】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:王貞治のホームラン数は全部で何本ですか?
A1:NPB公式戦で通算868本です。1959年から1980年まで読売ジャイアンツでプレーし、22年間で達成しました。2026年シーズン終了時点でもNPB歴代1位です。
Q2:王貞治の年間最多ホームラン数は何本ですか?
A2:1964年に記録した55本です。当時のプロ野球シーズン最多記録でしたが、現在のNPBシーズン最多記録は2013年にバレンティンが達成した60本です。
Q3:王貞治は本塁打王を何回獲得しましたか?
A3:15回です。1962年から1974年まで13年連続で獲得し、1976年と1977年にもタイトルを手にしました。
Q4:王貞治の756号ホームランはいつ達成されましたか?
A4:1977年9月3日です。後楽園球場の巨人対ヤクルト戦で放ち、ハンク・アーロンの通算755本を超えました。翌9月4日には第1回国民栄誉賞を受賞しています。
Q5:王貞治と野村克也では、どちらのホームラン数が多いですか?
A5:王貞治です。王は868本、野村克也は657本で、王が211本上回っています。野村もNPB歴代2位の通算本塁打を誇る名打者です。
Q6:王貞治の通算安打数と打率はいくつですか?
A6:通算2,786安打、通算打率.301です。868本塁打だけでなく、安打数と打率でも優れた成績を残しています。
Q7:王貞治の一本足打法はいつから始まりましたか?
A7:1962年に確立されました。荒川博コーチとの取り組みを通じて生まれた独特の打撃フォームで、その後の本塁打量産を支える大きな武器となりました。
まとめ:王貞治の868本は2026年もNPBの歴史に残る大記録
王貞治のホームラン数は、通算868本。1959年から1980年まで巨人でプレーした22年間に積み重ねた、NPB歴代1位の記録です。
1964年のシーズン55本塁打、本塁打王15回、1973年と1974年の2年連続三冠王、そして1977年9月3日の756号。これらの記録は、王が長期間にわたって日本プロ野球を代表する打者だったことを証明しています。
野村克也の657本を211本上回る通算記録に加え、2,786安打、打率.301という数字も残しました。一本足打法という独自の技術を磨き続けたことも、868本を語るうえで欠かせません。
2026年現在、NPBのシーズン最多本塁打記録はバレンティンの60本に更新されています。しかし、王の通算868本は依然として歴代1位です。単年の爆発力だけではなく、長期間にわたる安定した成績とタイトル獲得の積み重ねこそが、王貞治の記録を特別なものにしています。
868という数字は、単なるホームランの合計ではありません。日本プロ野球の歴史を築いた一人の打者が、22年間にわたって積み上げた努力と技術の結晶なのです。