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江上由美(丸山由美)の現在は?日立時代から五輪銅メダル、2026年の指導活動まで徹底解説

御厨 美冬 御厨 美冬 • 更新: • 公開: • 読了約 19 分
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江上由美(えがみ・ゆみ)さんは、1980年代の女子バレーボール日本代表を支えた名センタープレーヤーです。1984年ロサンゼルスオリンピックでは全日本女子の主将として銅メダルを獲得。1988年ソウルオリンピックにも出場し、日本女子バレーの歴史に名を刻みました。現在は結婚後の姓である「丸山由美」として活動しています。

2026年11月現在、注目したいのは現役引退後の指導者としての歩みです。江戸川大学女子バレーボール部の2026年度公式スタッフ名簿には、丸山由美さんがアドバイザーとして掲載されています。日立時代の活躍、小田急バレーボール部の監督経験、全日本復帰を経て、現在どのような立場でバレーボールに携わっているのでしょうか。

【人物の正体】江上由美と丸山由美は同一人物!改姓の理由とプロフィール

江上由美バレーボール

江上由美さんを調べると、「江上由美」と「丸山由美」という2つの名前が登場します。別々の選手と勘違いされることがありますが、両者は同一人物です。

旧姓が江上で、結婚後に丸山姓となったため、選手時代の記録や報道によって名前の表記が異なっています。実際、日本バレーボール協会のオリンピック代表記録では、1984年ロサンゼルス大会の選手名は「江上由美」、1988年ソウル大会では「丸山由美」と記載されています。

加えて、両大会ともポジションはセンター、出身校は松蔭高です。名前が変わっても、経歴と競技上のプロフィールが一致していることからも、同一人物であることが確認できます。

江上由美・丸山由美の基本プロフィール

  • 現在の名前:丸山由美
  • 旧姓:江上由美
  • 生年月日:1957年11月30日
  • 出身地:東京都
  • 出身高校:松蔭高等学校
  • 身長:175cm
  • 現役時代のポジション:センター
  • 主な所属:日立、小田急
  • 主な国際大会:1977年ワールドカップ、1984年ロサンゼルス五輪、1988年ソウル五輪
  • 2026年度の役職:江戸川大学女子バレーボール部アドバイザー

プロフィールは実業之日本社の人物紹介、日本バレーボール協会の大会記録、オリンピック競技者データベースなどでも確認できます。

特に注目したいのが、身長175cmという数字です。現代の女子バレーのセンターと比較すると決して大柄とはいえませんが、江上さんは身長だけに頼らない技術で世界の強豪と渡り合いました。

【日立時代の経歴】松蔭高校から日本代表へ!世界的センターの実力

中学時代に始めたバレーボールが人生を変えた

丸山由美さんは1957年、東京都に生まれました。中学生の頃からバレーボールを始め、松蔭高等学校を卒業後、1976年に日立バレーボール部へ入社します。

当時の日立は、日本女子バレーボール界を代表する強豪チームでした。江上さんはその環境で実力を磨き、入社翌年の1977年には全日本女子代表に初選出されます。

1979年には日立の主将にも就任。その後、中田久美さんや三屋裕子さんらとともに、チームの黄金時代を支える存在になりました。

実業之日本社のプロフィールでも、175cmのセンタープレーヤーとして日立の黄金時代を築いた選手と紹介されています。

175cmのセンターが世界から評価された理由

バレーボールのセンターは、ネット際で相手の攻撃を止めるブロックと、素早い攻撃を仕掛けるクイックなどを担うポジションです。高い跳躍力に加え、相手の攻撃を読む判断力、セッターとの連携、ジャンプのタイミングが大切です。

江上さんの特徴は、こうした技術を高いレベルで備えていたことでした。

スポーツナビの2009年の特集記事では、江上さんについて、相手の攻撃を読む能力と絶妙なタイミングで跳ぶブロックが持ち味だったと紹介しています。日本リーグでは4度のブロック賞を受賞しており、守備面での貢献も際立っていました。

つまり、江上さんの強さは単純な高さではありません。相手の攻撃を予測し、適切な位置に入り、最も効果的なタイミングでブロックする技術にありました。

身長175cmで世界的なセンターとして評価された背景には、こうした技術と競技理解の深さがあったのです。

【五輪・国際大会の実績】1977年ワールドカップから1984年銅メダルまで

1977年ワールドカップで日本代表デビュー

江上さんが全日本女子に初選出された1977年は、日本女子バレーにとっても重要な年でした。

同年、日本で開催された第2回女子ワールドカップで、日本代表は見事に優勝。キューバ、韓国、中国などを上回り、世界の頂点に立ちました。

日本バレーボール協会の公式大会記録にも、1977年大会の優勝国は日本と記録されています。江上さんはこの大会が開催された年に代表入りしており、世界の舞台で経験を積み始めました。

その後も世界選手権やワールドカップなどの国際大会で活躍し、1980年代の日本代表を支える中心選手へ成長します。

1982年から全日本女子の主将に就任

江上さんは1982年から全日本女子の主将を務めました。実業之日本社のプロフィールにも、この年から主将としてチームを率いた経歴が記されています。

主将という立場は、単にプレーが優れているだけでは務まりません。試合中の判断、チーム内の意思疎通、苦しい局面での精神的な支えなど、幅広い役割が大切です。

日立での主将経験を持つ江上さんが全日本でもリーダーを任されたことは、選手としての実力だけでなく、チームをまとめる力も評価されていたことを示しています。

1984年ロサンゼルス五輪で銅メダル獲得

江上さんの競技人生を語るうえで欠かせないのが、1984年のロサンゼルスオリンピックです。

江上さんは全日本女子の主将として出場し、センターとしてチームを支えました。日本は大会で3位となり、銅メダルを獲得します。

日本バレーボール協会の公式記録でも、1984年大会の順位は第3位。選手一覧には江上由美の名前があり、所属は日立、ポジションはセンター、出身校は松蔭高と記載されています。

この大会は、江上さん個人にとっても日本女子バレーにとっても大きな節目でした。世界の強豪を相手に、読みとタイミングを生かしたブロックで貢献したことが、名センターとしての評価につながっています。

【年代別年表】江上由美から丸山由美へ!競技人生の転換点

江上さんのキャリアを理解するには、日立時代、五輪での活躍、小田急での指導者経験、そして現役復帰という流れを整理すると分かりやすくなります。

特に1984年から1988年までの期間は、引退、指導者への転身、現役復帰、改姓後のオリンピック出場が重なった重要な時期です。

時期 出来事・所属 主な実績・意味
1957年 東京都に生まれる 11月30日生まれ
高校時代 松蔭高等学校 バレーボール選手として成長
1976年 日立に入社 実業団選手として活動開始
1977年 全日本女子に初選出 女子ワールドカップで日本が優勝
1979年 日立の主将に就任 チームの中心選手として活躍
1982年 全日本女子の主将に就任 日本代表を率いる立場へ
1984年 ロサンゼルス五輪 主将として出場し銅メダル獲得
1986年 小田急女子バレーボールチーム 監督に就任
1987年 小田急で選手復帰 現役生活を再開
1988年 ソウル五輪 丸山由美として出場、日本は4位
2026年度 江戸川大学女子バレーボール部 アドバイザーとして公式名簿に掲載

この年表で注目すべきなのは、1984年のロサンゼルス五輪を境に、選手としてのキャリアが一度終わったわけではないことです。

引退後に指導者へ転身し、その後再びコートに戻ってソウル五輪に出場した経歴は、江上さんの競技人生を特徴づける大きなポイントです。

年次や大会成績は、日本バレーボール協会のオリンピック・ワールドカップ記録、実業之日本社の人物紹介、丸山由美さんのプロフィールを照合したものです。

【小田急の監督からソウル五輪へ】引退と現役復帰の舞台裏

1986年、小田急バレーボール部の監督に就任

1984年のロサンゼルス五輪で銅メダルを獲得した後、江上さんは一度現役を引退します。

しかし、バレーボールとの関係は終わりませんでした。1986年には、新設された小田急女子バレーボールチーム「小田急ジュノー」の初代監督に就任します。

選手として世界の舞台を経験した人物が、今度は指導者としてチームづくりに携わることになったのです。

小田急のチームで監督を務めたことは、その後の指導者としての活動につながる重要な転換点でした。

1987年に現役復帰、1988年ソウル五輪へ

指導者として活動していた江上さんは、1987年に選手として現役復帰します。

そして1988年、丸山由美としてソウルオリンピックに出場しました。日本バレーボール協会の公式代表記録では、選手名は丸山由美、所属は小田急、ポジションはセンター、出身校は松蔭高と記載されています。

大会の最終順位は4位でした。1984年のロサンゼルス大会で獲得した銅メダルには届きませんでしたが、引退後に復帰して再びオリンピックの舞台に立ったことは、特筆すべき経歴です。

また、この時期の記録からは、江上から丸山へと姓が変わったことも確認できます。名前だけを見れば別人のように感じられますが、1984年と1988年の代表記録を並べると、同じセンターの選手として連続したキャリアが見えてきます。

ソウル五輪後、丸山さんは再び現役を引退。その後はバレーボールの普及や指導活動に軸足を移していきました。

【2026年最新】丸山由美の現在は江戸川大学女子バレー部アドバイザー

2026年度の公式スタッフ名簿に名前が掲載

2026年現在の活動を確認するうえで、最も重要なのが江戸川大学の公式情報です。

同大学の女子バレーボール部公式ページには、2026年度のスタッフとして丸山由美さんの名前が掲載され、役職はアドバイザーとなっています。

同じスタッフ一覧では、竹内寿郎さんが監督を務めています。つまり、丸山さんは2026年度のチームの監督ではなく、アドバイザーという立場で関わっているのです。

同大学女子バレーボール部は2014年に創部された強化指定部で、2026年度の所属リーグは関東大学女子バレーボールリーグ2部です。

大学のチーム方針には、バレーボールを通じて豊かな人間性を培い、社会に貢献できる人物を育成するという考えが掲げられています。

世界大会や五輪を経験した丸山さんが、学生チームのアドバイザーを務めていることは、競技経験を次世代に伝えるという意味でも興味深い動きです。

日本バレーボール協会公認講師としての活動

丸山さんは、現役引退後に日本バレーボール協会公認講師としても活動してきました。

日本バレーボール協会によると、公認講師は資格取得講習会や研修会、バレーボール教室などで指導するための資格です。単なる元選手の肩書ではなく、競技の普及や指導者育成にも関わる役割を担います。

丸山さんについては、2021年4月に公開された本人インタビューでも、日本バレーボール協会公認講師、小田急バレーボールクリニック主任講師として紹介されています。

また、スポーツ関連のプロフィールでは、ママさんバレーの指導に携わってきたことも紹介されています。トップレベルで培った技術を、幅広い年代の競技者に伝える活動を続けてきたことが分かります。

指導者として伝えているのは技術だけではない

2021年のインタビューでは、丸山さんはバレーボールを楽しむ人たちへのアドバイスとして、次のような言葉を残しています。

「得意なことを伸ばしてください。」

これは、同インタビューの後編で、競技を続ける人や子どもたちに向けて語った言葉です。

トップアスリートの指導というと、強いスパイクやブロックの技術を教えるイメージが先行します。しかし、この言葉からは、個人の得意分野を見つけ、それを伸ばすことがチーム全体の力にもつながるという考え方が伝わってきます。

江上さんが現役時代に評価されたのも、身長だけに頼らないブロック技術や、相手の攻撃を読む能力でした。選手一人ひとりの特性を生かすという考え方は、自身の競技経験とも重なります。

2026年度に確認できる江戸川大学でのアドバイザー活動は、こうした長年の経験を学生に伝える場の一つと考えられます。

【プロの結論】江上由美の本当の功績は銅メダルだけではない

江上由美さんの経歴を振り返ると、ロサンゼルス五輪の銅メダルが最も目立つ実績であることは間違いありません。しかし、選手としての評価をそれだけで終わらせるのは十分ではありません。

身長175cmで世界と戦った技術的価値

第一に挙げたいのは、175cmという身長で世界的なセンタープレーヤーとして評価されたことです。

センターには高さが大切ですが、江上さんは相手の攻撃を読む力、ブロックのタイミング、攻撃参加の技術を磨くことで、その条件を補いました。

日本リーグで4度のブロック賞を受賞した実績は、技術面での評価を裏付けています。単純な身体能力だけではなく、相手の動きを観察し、プレーの精度を高めることが競技力につながるという好例です。

選手・主将・監督・アドバイザーという幅広い経験

第二の功績は、競技人生の中で複数の立場を経験したことです。

日立では選手と主将を務め、全日本女子でも主将として五輪に出場しました。その後、小田急では監督を経験し、現役復帰まで果たしています。

こうした経験を持つ指導者は、技術だけでなく、選手としての葛藤、チームをまとめる難しさ、指導者としての責任を理解しています。

その意味で、2026年度の江戸川大学でのアドバイザーという役職は、単なる名誉職として見るべきではありません。競技現場で培った経験を、大学スポーツの育成環境に生かす役割として捉えることができます。

江上由美について情報を調べる際の判断基準

江上さんに関する情報を探すときは、次の3点を押さえておくと、経歴の混同を避けられます。

  • 名前の違い:1984年の記録は江上由美、1988年の記録は丸山由美。別人ではなく、旧姓と現在の姓の違いです。
  • 五輪の成績:1984年ロサンゼルス大会は銅メダル、1988年ソウル大会は4位です。両大会の成績を混同しないことが大切です。
  • 2026年の役職:江戸川大学の公式スタッフ名簿ではアドバイザーです。監督とアドバイザーは異なる役職です。

この3点を基準にすると、現役時代の江上由美と、指導者として活動する丸山由美の経歴を正確につなげられます。

【江上由美の現在とバレーボール】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:江上由美は現在、丸山由美という名前で活動しているのですか?
A1:はい。江上由美は旧姓で、結婚後は丸山由美という名前で活動しています。1984年ロサンゼルス五輪の公式記録では江上由美、1988年ソウル五輪では丸山由美と記載されています。

Q2:江上由美の身長と現役時代のポジションは?
A2:身長は175cmで、ポジションはセンターです。相手の攻撃を読む能力やタイミングの良いブロックを武器に、日本リーグで4度のブロック賞を受賞しました。

Q3:江上由美は2026年現在、どこで指導していますか?
A3:2026年度の江戸川大学女子バレーボール部公式スタッフ名簿に、丸山由美の名前がアドバイザーとして掲載されています。また、日本バレーボール協会公認講師としての活動歴があり、小田急バレーボールクリニック主任講師としても紹介されてきました。

まとめ:江上由美は五輪メダリストから次世代を支える指導者へ

江上由美(現・丸山由美)さんは、日立で実力を磨き、1977年に全日本女子代表に選出された元日本代表選手です。1982年から全日本の主将を務め、1984年ロサンゼルス五輪では銅メダルを獲得しました。

その後、一度現役を引退して小田急女子バレーボールチームの監督に就任。1987年に選手として復帰し、1988年ソウル五輪にも出場するという異色の経歴を持っています。

そして2026年現在、江戸川大学女子バレーボール部のアドバイザーとして公式名簿に掲載されています。日本バレーボール協会公認講師としての経験も含め、長年にわたって競技の普及と次世代の育成に関わってきました。

江上由美さんの功績は、ロサンゼルス五輪の銅メダルだけではありません。175cmのセンターとして世界と戦った技術、主将としての経験、指導者への転身、そして現役復帰。競技人生のあらゆる段階でバレーボールと向き合ってきたことこそ、大きな魅力です。

選手として残した実績を次の世代に伝える丸山由美さんの活動は、これからの大学バレーボールや地域の競技普及を考えるうえでも注目されます。

編集上の主要な確認資料
- 日本バレーボール協会:1984年・1988年オリンピック代表記録、1977年ワールドカップ記録。
- 江戸川大学:2026年度女子バレーボール部スタッフ名簿。
- 実業之日本社:生年月日、身長175cm、日立入社、全日本主将歴。
- スポーツナビ:センターとしての特徴、ロサンゼルス五輪主将、ブロック賞4度。
- 丸山由美本人のインタビュー:競技歴と指導活動、指導に関する発言。

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御厨 美冬

スポーツ担当として7年以上の取材経験。sports領域の公式発表・配信元の告知を一次情報として確認し、確認できない情報は記事に含めない方針です。

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