かつて百貨店の象徴として親しまれ、上品な制服と丁寧なアナウンスで買い物客を迎えていた「エレベーターガール」。昭和の時代には女性の憧れの職業として知られ、デパートを訪れると当たり前のように見かける存在でした。しかし、エレベーターの自動化が進んだ現在、その姿を見かける機会は大きく減っています。
では、2026年現在、エレベーターガールは完全に姿を消してしまったのでしょうか。実は、今も伝統的な案内係が活躍する百貨店があります。2026年3月には、日本橋高島屋の手動式エレベーターと案内係を取り上げた最新の取材記事も公開されました。仕事内容や接客マナー、なぜこの仕事に就いたのか、廃れた理由、ネットの反応まで詳しく紹介します。
【2026年最新】エレベーターガールの現在は?今も会える場所を調査
最新情報・現役の勤務先
エレベーターガールは、2026年現在も完全に消滅したわけではありません。特に注目されているのが、東京都中央区にある日本橋高島屋です。
2026年3月15日公開の東洋経済オンラインの記事では、同店で現在も活躍するエレベーター案内係の仕事が詳しく紹介されました。
日本橋高島屋では今も現役で活躍
日本橋高島屋の大きな特徴は、1933年の開店当時から使われてきた手動式エレベーターが現在も稼働していることです。
一般的なエレベーターとは違い、案内係がレバーを操作し、扉の開閉などを担当します。
同店の本館は2009年に百貨店建築として初めて国の重要文化財に指定されました。歴史的な建物と設備を受け継ぐことも、案内係が配置され続けている理由の一つです。
2026年の取材記事によると、現在の案内係は20代から60代までの男女。かつてのように若い女性だけが担当する仕事ではありません。
勤務形態も変化しており、週5日のフルタイム勤務だけでなく、週3~4日や短時間勤務も可能になっています。採用で重視されるのは誠実さだと紹介されています。
つまり、現在のエレベーターガールは、昔の職業をそのまま再現しているのではなく、現代の百貨店に合った接客サービスへと変化しているのです。
日本橋高島屋以外にも案内係は存在する?
全国の百貨店で昔ながらの専任エレベーターガールを見かける機会は少なくなりました。
ただし、繁忙期にエレベーター案内係を配置する店舗もあります。
2024年12月の山陽新聞社の報道では、岡山市の天満屋岡山店が年末年始や夏休みなどに案内係を配置する取り組みを紹介しています。
同店では総合案内所のスタッフ6人がエレベーター業務も担当する仕組みを採用。車いすやベビーカーを利用する人、高齢者へのサポートにも力を入れていました。
ここで注意したいのは、常設のエレベーターガールと、繁忙期だけ配置される案内係は別の存在だということです。
昔ながらの職種が全国の百貨店で復活しているわけではありませんが、人による案内サービス自体は形を変えて残っています。
【歴史を解説】エレベーターガールはいつ誕生した?松坂屋との関係
日本のエレベーターガールの歴史を語るうえで欠かせないのが、松坂屋上野店です。
日本初とされるエレベーターガールが登場したのは、1929年(昭和4年)4月1日。当時は「昇降機ガール」と呼ばれていました。
日本初は1929年の松坂屋上野店
1923年の関東大震災で焼失した松坂屋上野店は、その後、店舗の再建を進めました。
そして1929年、新しい本館の完成に合わせて最新式のエレベーターを導入します。
当時のエレベーターは現在のように簡単に操作できるものではありませんでした。しかし、操作性が改善された新型機の導入によって、女性が運転を担当できるようになりました。
こうして誕生したのがエレベーターガールです。
松坂屋の公式史料によると、エレベーターガールは運転だけでなく、各階の売り場を案内する役割も担っていました。接客サービスとして好評を得たことから、銀座店にも広がり、全国の百貨店で採用されるようになりました。
なぜ女性たちはエレベーターガールになりたかったのか
当時の採用事情も興味深いものがあります。
2018年に公開された大塚商会の松坂屋への取材記事では、初代のエレベーターガールは社内の女性店員から希望者を募って選ばれたと紹介されています。
当時の新聞には、希望者が多かったことを示す記録も残っています。
募集広告には、年齢14歳から30歳までという条件が記載されていました。
また、当時のエレベーターガールは、百貨店という華やかな場所で働き、制服を着て来店客を迎える仕事でした。
昭和初期には女性が活躍できる職種が現在ほど多くなかったこともあり、新しい仕事に挑戦できる機会として注目された背景があります。
単なる機械操作の仕事ではなく、百貨店の顔としてお客様と接することに魅力を感じる女性も多かったと考えられます。
昭和の花形職業へと成長
昭和の百貨店では、エレベーターガールはバスガイドなどと並ぶ華やかな職業として認識されていました。
制服も時代とともに変化しています。
松坂屋では、昭和の時代にニナ・リッチやギ・ラロッシュといった世界的なブランドに制服のデザインを依頼したこともあったそうです。
洋装の制服は当時の女性の憧れを集め、百貨店の格式やイメージを象徴する存在になりました。
エレベーターガールの歴史は、単なる職業の歴史ではありません。女性の社会進出や百貨店文化の発展とも深く結びついていたのです。
【仕事内容を詳細解説】エレベーターガールの1日の仕事と接客マナー
エレベーターガールと聞くと、エレベーターの中で階数を案内するだけの仕事だと思う人もいる可能性があります。
しかし、実際には複数の業務を同時にこなす必要があり、接客能力と安全管理能力の両方が大切です。
1日の主な仕事内容
勤務する百貨店や設備によって異なりますが、代表的な仕事は次のとおりです。
1. 開店前の準備と情報共有
その日の売り場情報や催事、営業時間などを確認します。日本橋高島屋では、開店前の朝礼でサービス担当者が連絡事項を共有する様子も取材されています。
2. 来店客への挨拶と乗車案内
エレベーターに乗ってきたお客様に挨拶し、希望する階を確認します。
3. エレベーターの操作
手動式の場合はレバーを使って運転し、適切な位置に停止させます。自動式の場合は案内や乗降のサポートが中心になります。
4. 各階の売り場案内
目的の階に到着した際には、売り場や施設の情報を伝えます。
5. 安全確認と乗降サポート
扉に人が挟まれないように確認し、駆け込み乗車や子どもの危険な行動にも注意を払います。
6. お客様からの質問への対応
売り場の場所や館内施設など、エレベーターの操作以外の質問にも答えます。
接客マナーで大切にされていたこと
エレベーターガールの魅力の一つが、独特の丁寧な接客です。
代表的なアナウンスには、次のようなものがあります。
「上へまいります」 「ご来店ありがとうございます」 「ごゆっくりどうぞ、いってらっしゃいませ」
これらは実際に2026年の日本橋高島屋の取材記事で紹介された案内の言葉です。
言葉遣いだけでなく、笑顔や立ち姿、動作の丁寧さも接客の一部です。
また、同店では扉が閉まる際に上部の鏡で周囲を確認し、片腕を水平に伸ばしてお客様に注意を促す動作も行っています。
昔のエレベーターガールは記憶力も必要だった
1936年に作られた松坂屋の接客マニュアルには、各階の案内に関する口上が記録されています。
当時のエレベーターガールは、乗客が指定した階を覚えながら運転し、各階の売り場情報も案内していました。
加えて、乗りそびれるお客様がいないよう、乗降時の確認も必要でした。
大塚商会の記事では、OGの証言として、指定された階を記憶しておくことが特に大変だったというエピソードも紹介されています。
一度に複数の業務をこなす、まさにマルチタスクの仕事だったのです。
独り立ちまでには長い訓練が必要
2026年の日本橋高島屋の取材では、新人の案内係には先輩が付き、操作ミスを防ぐ教育を行っていることが明かされました。
また、制服は独り立ちして初めて着用できる仕組みで、平均して約1年かかるとされています。
華やかな制服の裏側には、安全を守るための地道な訓練があったのです。
【年表・比較表】エレベーターガールの誕生から現在までの経緯
ここでは、エレベーターガールの歴史と、現在の案内係につながる主な出来事を整理します。
| 年代 | 出来事 | 意味・現在との関係 |
|---|---|---|
| 1923年 | 関東大震災 | 松坂屋上野店が焼失 |
| 1929年 | 松坂屋上野店で日本初のエレベーターガールが登場 | 昇降機ガールとして話題に |
| 1933年 | 日本橋高島屋が開店 | 手動式エレベーターの案内係を配置 |
| 1936年 | 松坂屋が接客マニュアルを作成 | 案内の口上などを記録 |
| 2006年 | 松坂屋上野店の本館改装 | エレベーターを自動式に変更 |
| 2007年 | 松坂屋上野店の専任配置が終了 | 発祥の店舗から姿を消す |
| 2009年 | 日本橋高島屋本館が重要文化財に指定 | 歴史的な設備を継承 |
| 2017年 | 松坂屋上野店で2日間限定の復活企画 | 発祥の地で制服を再現 |
| 2024年 | 天満屋岡山店の繁忙期案内が報道される | 常設以外の案内サービスも紹介 |
| 2026年3月 | 日本橋高島屋の案内係を取材 | 20~60代の男女が現役で活躍 |
特に重要なのは、2006年から2007年にかけての松坂屋上野店の変化です。
発祥の地であっても、設備の更新によって専任スタッフが不要になりました。
一方、日本橋高島屋では歴史的建造物と手動式エレベーターが現在まで受け継がれています。
また、2017年11月には松坂屋上野店のリニューアルを記念して、当時の制服を再現した昇降機ガールが2日間限定で復活しました。
この企画は、エレベーターガールが百貨店の歴史に残る存在であることを象徴しています。
【消えた理由と噂の真相】なぜエレベーターガールは減少した?
かつて多くの百貨店で見かけたエレベーターガールですが、現在はなぜ珍しい存在になったのでしょうか。
大きな理由は、エレベーターの技術革新です。
理由1:エレベーターの自動化
昔のエレベーターは、運転や停止、扉の開閉などに人の操作が必要でした。
しかし、技術の進歩によって、乗客自身がボタンを押すだけで目的の階へ移動できるようになりました。
これにより、専任の運転担当者を配置する必要性が低下しました。
理由2:百貨店のサービス体制の変化
百貨店の接客サービスも変わりました。
以前はエレベーターガールが各階の売り場案内まで担当していましたが、現在は総合案内所やフロアスタッフなどが役割を分担しています。
専任スタッフを置くよりも、必要な場所にスタッフを配置する体制へと変化してきたのです。
理由3:歴史的設備が残る店舗とそうでない店舗の違い
日本橋高島屋が現在も案内係を配置している理由は、手動式エレベーターが現役であることです。
本館が重要文化財に指定されていることも、歴史的な設備を受け継ぐ背景となっています。
つまり、エレベーターガールが残っているかどうかは、単に百貨店の伝統を守りたいかどうかだけで決まるわけではありません。
設備の構造や建物の歴史、接客方針などが関係しています。
「エレベーターガールは日本から完全に消えた」は本当?
これは正確ではありません。
2026年にも日本橋高島屋では案内係が活躍しています。また、地方百貨店でも繁忙期に案内係を配置した事例が報道されています。
ただし、昔ながらの若い女性による専任職として、全国の百貨店に常設されているわけではありません。
「昔のエレベーターガール」という職業は大きく縮小したものの、その役割の一部は現代の案内サービスに受け継がれているというのが実態です。
炎上や不祥事の噂はある?
エレベーターガールという職業について、2026年の最新取材報道で大きな炎上事件が取り上げられているわけではありません。
また、昔のエレベーターガールが一斉に解雇されたという説明も、松坂屋上野店の記録とは異なります。同店では設備の更新を経て、2007年に専任配置が終了しています。
職業の縮小を、個別の不祥事や炎上と結び付ける根拠はありません。
【ネットの反応】今もエレベーターガールが支持される理由
エレベーターガールが珍しくなった現在も、昔を懐かしむ人や、実際に案内を受けて魅力を感じる人がいます。
2026年の日本橋高島屋の取材記事では、遠方から手動式エレベーターに乗るために訪れる人や、子どもと一緒に何度も乗る人がいることも紹介されました。
懐かしさと特別感を評価する声
2024年12月の山陽新聞社の報道では、天満屋岡山店で案内を受けた71歳の女性客が、家族で百貨店を訪れた昔を思い出したと話しています。
また、自動化が進むなかで、人に案内してもらえることに特別感を覚えたという感想も紹介されました。
現代の利用者が評価するポイント
2026年の日本橋高島屋の取材では、案内係の仕事を約10年続けるスタッフが、お客様から感謝の言葉をもらえることを仕事の喜びとして語っています。
売り場を案内したお客様が、買い物を終えてお礼を伝えに戻ってくることもあるそうです。
こうしたエピソードから見えてくるのは、エレベーターガールの価値が単なる懐古趣味ではないということです。
- 安心感: 人が乗降状況を確認してくれる。
- 利便性: 売り場や施設について直接質問できる。
- 特別感: 丁寧な挨拶や案内を受けられる。
- 歴史的価値: 昔ながらの設備と接客文化を体験できる。
SNS上の反応については、個々の投稿を世論全体とみなすことはできませんが、報道で確認できる利用者の声には、懐かしさや人による接客への評価が表れています。
【プロの結論】エレベーターガールは時代遅れではなく接客文化の継承者
エレベーターガールの現在を調べると、単に昔の職業がなくなったという話ではないことが分かります。
1929年に松坂屋上野店で誕生したこの仕事は、当時の最新設備と女性の社会進出、百貨店のおもてなし文化が結び付いて生まれました。
その後、機械の自動化によって専任職としての必要性は低下しましたが、日本橋高島屋のように設備と接客文化を一緒に受け継いでいる場所もあります。
ここで注目したいのは、エレベーターガールの本質が「エレベーターを動かすこと」だけではなかったという点です。
本来の役割は、来店客が安心して目的地へ移動できるようにし、百貨店で過ごす時間を快適なものにすることでした。
この役割は、現在のコンシェルジュや総合案内スタッフにも通じています。
自動化できる作業と、人が担うことで価値が生まれる仕事は必ずしも同じではありません。
エレベーターガールの歴史は、接客業において人間の存在が持つ意味を考えるうえでも興味深い事例です。
【よくある質問】エレベーターガールの現在に関するFAQ
Q1:2026年現在、エレベーターガールはどこにいますか?
A1:2026年3月の取材報道で現役の案内係が確認されている代表的な場所は、日本橋高島屋です。繁忙期に案内係を配置する百貨店もあります。
Q2:エレベーターガールはいつ誕生しましたか?
A2:1929年4月1日、松坂屋上野店で日本初とされるエレベーターガールが登場しました。当時は「昇降機ガール」と呼ばれていました。
Q3:なぜエレベーターガールはいなくなったのですか?
A3:主な理由はエレベーターの自動化です。乗客自身がボタンを押して利用できるようになり、専任の運転担当者を置く必要が少なくなりました。
Q4:エレベーターガールの仕事は女性だけですか?
A4:昔は若い女性が中心でしたが、現在の日本橋高島屋では20~60代の男女が案内係として働いています。
Q5:エレベーターガールになるには特別な資格が必要ですか?
A5:歴史的なエレベーターガールについて、全国共通の資格制度があったわけではありません。現在の案内係については、各施設の採用条件や研修制度によります。
Q6:松坂屋上野店では今もエレベーターガールを見られますか?
A6:通常の専任配置は2007年に終了しています。2017年にはリニューアル記念として、11月4日・5日の2日間限定で復活企画が実施されました。
まとめ:エレベーターガールの現在と今後の展望
2026年現在、エレベーターガールは全国の百貨店で当たり前に見られる職業ではなくなりました。しかし、日本橋高島屋では歴史ある手動式エレベーターとともに案内係が現役で活躍しています。
今回の要点を振り返ります。
- 日本初のエレベーターガールは1929年の松坂屋上野店で誕生。
- 昭和の時代には女性の憧れを集める花形職業だった。
- 自動化によって百貨店の専任配置は減少。
- 2026年も日本橋高島屋では20~60代の男女が案内係として活躍。
- 現在は操作だけでなく、安全管理や接客サービスも重要な役割になっている。
かつて百貨店の象徴だったエレベーターガール。その姿は少なくなりましたが、丁寧な言葉遣いや人に寄り添う接客は、今も受け継がれています。
機械化が進む時代だからこそ、人が直接迎えてくれるサービスには独自の価値があります。エレベーターガールの歴史は、これからの接客業のあり方を考えるうえでも、忘れてはならない日本の百貨店文化の一つです。