ホーム 芸能人プロフィール・現在 【馴れ初めを時系列で解説】十二代目市川團十郎との出会いは大阪だった

【馴れ初めを時系列で解説】十二代目市川團十郎との出会いは大阪だった

御厨 美冬 御厨 美冬 • 更新: • 公開: • 読了約 14 分
目次

堀越希実子さんと十二代目市川團十郎さんの結婚には、少し意外な経緯があります。最初から二人のお見合いが決まっていたわけではなく、別の縁談がきっかけで再会したことが、結婚につながりました。

最初の出会いは歌舞伎の楽屋

テレビ朝日の『徹子の部屋』関連報道によると、堀越さんが團十郎さんと出会ったのは、團十郎さんが舞台に出演していた時期の歌舞伎の楽屋でした。

当時、堀越さんは大学生。すでに何度かお見合いを経験していましたが、そこで出会った團十郎さんとの縁が、後の人生を大きく変えることになります。

大阪での再会が結婚のきっかけに

さらに興味深いのは、大阪での再会です。

堀越さんは別のお見合いのために大阪を訪れていました。その際、舞台で出会った團十郎さんと再び顔を合わせたのです。

2018年のRBB TODAYの記事では、堀越さんが團十郎さんと出会ったのは22歳の頃と紹介されています。1976年の結婚時には23歳だったため、年齢の流れにも矛盾はありません。

偶然のように見える出会いですが、歌舞伎の舞台とお見合いという二つの出来事が重なったことで、二人の関係が深まっていきました。

1976年に結婚!当時の團十郎は29歳

二人は1976年に結婚しました。

結婚当時、團十郎さんは十代目市川海老蔵を名乗っていました。その後、1985年に十二代目市川團十郎を襲名しています。

つまり、堀越さんが結婚した時点では、現在広く知られている「十二代目市川團十郎夫人」という呼び方とは異なる名跡だったのです。この点は、過去の写真や報道を調べる際に混同しやすいポイントです。

【経歴・関係者一覧】堀越希実子の半生と成田屋の家族関係

堀越希実子若い頃

堀越さんの人生は、大学卒業と結婚を境に大きく変化しました。歌舞伎界の伝統を受け継ぐ家庭を支える一方、自身の着物に対する感性を仕事へと発展させています。

ここでは、公開されているプロフィールや報道をもとに、主要な出来事と関係人物を整理します。


堀越希実子を中心とする人物関係


堀越希実子

成田屋を支えた妻・母/着物デザイナー



十二代目市川團十郎

夫・2013年逝去





十三代目市川團十郎白猿

長男・歌舞伎俳優




四代目市川翠扇

長女・日本舞踊家




成田屋公式プロフィールに掲載された家族の名跡・略歴をもとに整理。

堀越希実子の主な経歴年表

時期 出来事・経歴 出生 東京都生まれ 大学時代 学習院大学仏文学科で学ぶ。お見合いも経験 1976年 学習院大学を卒業し、十代目市川海老蔵と結婚 2013年 夫・十二代目市川團十郎が逝去 2016年 ブライダル和装ブランド「麗」の展開 2025年 新ブランド「華寿苑」の活動を展開 2026年 華寿苑のデザイナーとしての近況が報道される

出典:学習院桜友会文学部同窓会、テレビ朝日、華寿苑公式サイト、スポニチ。

長男は十三代目市川團十郎白猿

長男は、現在の成田屋を代表する歌舞伎俳優、さんです。

1977年12月6日に東京都で生まれ、1985年に七代目市川新之助として初舞台を踏みました。2004年には十一代目市川海老蔵を襲名し、2022年には十三代目市川團十郎白猿を襲名しています。これらは成田屋の公式プロフィールにも記載されています。

長女は四代目市川翠扇

長女は日本舞踊市川流の四代目市川翠扇さんです。

成田屋の公式プロフィールでは、本名を堀越智英子さんとし、1979年に東京都で生まれたこと、2006年に三代目市川ぼたんを襲名し、2019年に四代目市川翠扇を襲名したことが紹介されています。

堀越さんは、歌舞伎だけでなく日本舞踊という伝統芸能にもつながる家庭を築いてきました。

【梨園の妻としての人生】成田屋を支えた堀越希実子の役割

結婚後の堀越さんを語るうえで欠かせないのが、梨園の妻としての経験です。

梨園とは、歌舞伎界を指す言葉。歌舞伎俳優の妻には、家族の生活を支えるだけでなく、伝統行事や関係者との付き合い、舞台を取り巻くさまざまな慣習への理解も求められます。

2018年の『サワコの朝』を紹介したRBB TODAYの記事では、堀越さんが結婚後、歌舞伎界のしきたりに戸惑いながらも、周囲から教えられ、作法を身につけていったことが伝えられています。

歌舞伎界の伝統を受け継ぐ立場へ

堀越さんが結婚した1976年は、まだ十二代目市川團十郎の襲名より前でした。夫の芸の道を支え、家庭を守りながら、成田屋という名門の歴史に関わっていくことになります。

その後、團十郎さんは2004年に白血病を患い、2013年に66歳で亡くなりました。テレビ朝日の報道でも、闘病やパリ公演など、夫婦が共有した時間が紹介されています。

夫を亡くした後も、堀越さんは成田屋と関わり続け、息子や娘、孫たちの芸の道を見守る存在となりました。

小林麻央さんとの関係にも表れた伝統の継承

長男の十三代目市川團十郎白猿さんは、2010年にフリーアナウンサーの小林麻央さんと結婚しました。

堀越さんは、麻央さんに成田屋の家庭の味や伝統を伝える立場でもありました。2016年には、麻央さんが堀越さんの著書『成田屋の食卓』を紹介し、家庭の味を受け継ぐことへの思いをブログにつづったとRBB TODAYが報じています。

こうしたエピソードからも、堀越さんが大切にしてきたのは、単に家を守ることだけではなく、食や着物、日々の暮らしを通して成田屋の文化を次の世代に伝えることだったとうかがえます。

【着物デザイナーとしての現在】茶屋ごろもから華寿苑へ

堀越希実子さんには、梨園の妻という肩書きだけでは語れないもう一つの顔があります。それが着物デザイナーとしての活動です。

成田屋ゆかりの着物ブランド「茶屋ごろも」

堀越さんは、長年にわたって着物ブランド「茶屋ごろも」のデザイン・監修を手がけてきました。

2022年4月、着物メーカーの川島織物セルコンは、堀越さんがデザイン監修を務める「茶屋ごろも」の展示会を発表しています。

同社の説明では、茶屋ごろもは和文化と触れ合う日常から生まれたブランドで、コンセプトは「出ず入らず」。控えめでありながら華やかさを備えた着物や帯を特徴としています。成田屋の夫人として長年培ってきた和装への感性が生かされています。

2016年にはブライダル和装ブランド「麗」を展開

2016年には、ブライダル和装ブランド「麗」の打掛コレクションも展開しました。

結婚式の和装は、伝統的な格式と現代の花嫁の好みを両立させる必要があります。堀越さんは、着物と日常的に接してきた経験を生かし、古典的な意匠を大切にしながら、現代の着用者にも親しみやすいデザインを手がけています。

学習院桜友会文学部同窓会の紹介でも、「茶屋ごろも」と「麗」の活動が経歴として記載されています。

2025年に新ブランド「華寿苑」を立ち上げ

2025年には、新しい着物ブランド「華寿苑(かじゅえん)」の活動が始まりました。

十三代目市川團十郎さんは、2025年1月30日のブログで、母親が長年携わってきた「茶屋ごろも」に続き、新ブランドを立ち上げることを紹介。母親の活動を応援する気持ちを伝えています。

華寿苑の公式サイトでも、堀越希実子さんが代表デザイナーとして掲載されています。オーダーメイドの着物制作をはじめ、希望や予算に応じた着物の提案も行っています。2025年8月には新作展示会も案内されました。

2026年最新の活動と近影

2026年5月7日、スポニチは十三代目市川團十郎さんが母親のアカウントを自身のInstagramストーリーズで紹介したことを報じました。

紹介されたのは、華寿苑の投稿です。堀越さんが着物姿でバッグの中身を披露し、大判の鏡や絞りの風呂敷、お気に入りの扇子などを紹介していました。

特に扇子については、十二代目市川團十郎さんの襲名時に画家の加山又造さんが絵を描いた品であることも説明されています。

単なるファッションアイテムではなく、夫との思い出や成田屋の歴史につながる品を今も大切にしていることが伝わる内容でした。2026年10月時点で確認できる近年の活動としても、着物デザインを通じた発信が続いていることが分かります。

【プロの結論】堀越希実子の若い頃から現在までを読み解く3つの視点

堀越希実子さんの人生を振り返ると、若い頃の写真や結婚エピソード以上に、大学卒業後の人生の変化と、自分の感性を仕事に発展させてきた歩みが印象に残ります。

1. 結婚は梨園の世界に入る転機だった

1976年、23歳での結婚は、堀越さんにとって大きな転機でした。

大学でフランス文学を学んでいた女性が、歌舞伎の名門・成田屋を支える立場になる。そこには、生活環境だけでなく、伝統や人間関係に対する理解を深めていく過程もありました。

出会いのきっかけが別のお見合いだったというエピソードは、人生の転機が必ずしも計画どおりに訪れるわけではないことを感じさせます。

2. 梨園で身につけた美意識が着物の仕事につながった

堀越さんの着物デザインには、長年にわたる和装との関わりが反映されています。

2013年のエルビューのインタビューでは、着物は柄だけでなく帯や小物を含めたトータルコーディネートで楽しむものだと語っています。また、一枚の着物に複数の帯を合わせる工夫や、季節の文様を先取りする楽しみについても説明していました。

こうした実生活での経験が、茶屋ごろもや華寿苑のデザインにもつながっています。肩書きとしてのデザイナーではなく、日常的に着物を着てきた人ならではの視点が強みです。

3. 家族を支える役割と個人の活動を両立してきた

堀越さんは、夫を支え、子どもたちの成長を見守り、成田屋の文化を伝える役割を担ってきました。その一方で、着物ブランドの仕事にも取り組んでいます。

注目したいのは、夫の名声だけに依存するのではなく、自身の経験や美意識を独自の仕事へと発展させてきた点です。

若い頃の結婚写真から2026年の近影までを比較すると、変わらず着物を大切にしている姿勢が、彼女の人生をつなぐ一つの軸になっていることが分かります。

【堀越希実子の若い頃】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:堀越希実子の若い頃の写真は見られますか?

A1:はい。2017年のテレビ朝日『徹子の部屋』関連の記事で、1976年の結婚当時の写真が紹介されています。当時23歳で、夫の十二代目市川團十郎さんは29歳でした。

Q2:堀越希実子の出身大学と学部はどこですか?

A2:学習院大学仏文学科です。2025年の学習院桜友会文学部同窓会の報告でも、1976年卒業と紹介されています。

Q3:堀越希実子と十二代目市川團十郎の馴れ初めは?

A3:歌舞伎の楽屋で出会い、その後、別のお見合いで訪れていた大阪で再会したことが縁になりました。1976年に結婚しています。

Q4:堀越希実子の生年月日と2026年現在の年齢は?

A4:ネット上には1952年9月10日生まれという情報がありますが、本人や成田屋の公式プロフィールでは生年月日を確認できません。結婚当時23歳だったことはテレビ朝日の報道で確認できます。

Q5:堀越希実子は現在も着物デザイナーですか?

A5:はい。茶屋ごろものデザイン・監修やブライダル和装ブランド「麗」の展開を経て、現在は「華寿苑」の代表デザイナーとして活動しています。2026年5月にもブランドに関する近況が報じられました。

Q6:堀越希実子の子どもは何人ですか?

A6:長男の十三代目市川團十郎白猿さんと、長女の四代目市川翠扇さんの1男1女です。二人とも成田屋の公式プロフィールに掲載されています。

まとめ:堀越希実子の若い頃から現在まで、変わらない着物への美意識

堀越希実子さんの若い頃を振り返ると、学習院大学仏文学科で学び、23歳で十二代目市川團十郎さんと結婚したことが人生の大きな節目でした。

歌舞伎の楽屋での出会い、大阪での再会、1976年の結婚というエピソードは、今も多くの人の関心を集めています。

その後は梨園の妻として成田屋を支え、二人の子どもを育てながら、着物デザイナーとしても活動。茶屋ごろもや麗を経て、2025年には華寿苑という新しいブランドにも取り組みました。

若い頃の結婚写真と2026年の近影を比べると、時代とともに装いは変化しても、着物を通して日本の伝統美を伝えたいという姿勢が一貫していることが分かります。

堀越希実子さんの魅力は、単に「歌舞伎俳優の妻」「市川團十郎の母」という肩書きにとどまりません。伝統を受け継ぐ立場でありながら、自身の美意識を着物という形で表現し続けていることこそ、長年にわたって注目される理由です。

今後も華寿苑を通じた着物文化の発信と、成田屋を支えてきた経験を生かした活動に注目が集まりそうです。

同じカテゴリの記事

御厨 美冬

スポーツ担当として7年以上の取材経験。sports領域の公式発表・配信元の告知を一次情報として確認し、確認できない情報は記事に含めない方針です。

おすすめの関連記事