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久米宏の現在は?2026年1月1日に81歳で死去、訃報と晩年・功績を徹底解説

榊原 真央 榊原 真央 • 更新: • 公開: • 読了約 20 分
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2026年10月現在、久米宏さんはすでに亡くなっています。日本を代表するフリーアナウンサーであり、テレビ朝日系の報道番組「ニュースステーション」のメインキャスターとして知られた久米宏さんは、2026年1月1日、肺がんのため81歳で死去しました。所属事務所のオフィス・トゥー・ワンが1月13日に訃報を公表し、長年連れ添った妻・麗子さんも追悼コメントを発表しています。

特に注目を集めたのが、麗子さんが明かした最期のエピソードです。「大好きなサイダーを一気に飲んだあと、旅立ちました」という言葉には、2004年3月26日の「ニュースステーション」最終回で久米さんがビールを飲み干した場面が重なります。晩年の活動、死因と訃報発表までの経緯、妻のコメント、そして日本のテレビ報道を変えたキャスターとしての功績を振り返ります。

【2026年最新】久米宏の現在は?81歳で亡くなった事実と訃報の経緯

久米宏現在

久米宏さんの現在について、最初に押さえておきたいのは、2026年1月1日に亡くなったという事実です。

1944年7月14日生まれの久米さんは、埼玉県出身。早稲田大学政治経済学部を卒業し、TBSのアナウンサーとしてキャリアをスタートさせました。その後、フリーに転身し、音楽番組、バラエティー番組、報道番組、ラジオなど幅広い分野で活躍しました。

訃報が公表されたのは2026年1月13日

所属事務所のオフィス・トゥー・ワンは2026年1月13日、公式サイトを通じて久米さんの死去を発表しました。

発表によれば、久米さんは2026年1月1日に肺がんのため満81歳で永眠。亡くなった日と訃報が公表された日には12日間の隔たりがありました。

通夜と葬儀は、遺族の意向により近親者のみで静かに執り行われたと報告されています。

現在の活動や新しい出演情報はある?

2026年10月時点で、久米さんが新たなテレビ番組やラジオ番組に出演することはありません。

訃報発表後には、テレビ朝日が「ニュースステーション」での功績を振り返り、2004年3月26日の最終回における最後の挨拶の映像も改めて紹介しました。

また、TBSでも「ザ・ベストテン」など過去の出演番組を通じて、その足跡を振り返る追悼企画が行われました。

現在、久米さんを知るための主な資料は、過去の番組映像、本人のインタビュー、著書、そして関係者や家族が公表した追悼の言葉です。

【死因と訃報の真相】久米宏さんはなぜ亡くなった?肺がんと発表までの時系列

久米宏さんの死因について、所属事務所が公表した内容は肺がんです。

テレビ朝日やTBSなどの報道機関も、事務所の発表を受けて2026年1月13日に死去を報道しました。病名について複数の報道が一致しており、死因は肺がんと確認されています。

死去から訃報発表までの流れ

今回の訃報を時系列で整理すると、次のようになります。

  • 2026年1月1日:肺がんのため81歳で死去。
  • 2026年1月13日:所属事務所が公式サイトで訃報を発表。
  • 同日:テレビ朝日、TBSなどが死去を報道。
  • 同日:妻・麗子さんの追悼コメントが公表される。
  • 2026年1月18日:TBSチャンネルで「ザ・ベストテン」の過去の放送回を追悼企画として放送。

死去の発表と同時に、妻の麗子さんによるコメントも公表されました。葬儀は近親者のみで行われたことも、所属事務所の発表に記されています。

肺がんの発症時期や闘病生活は公表されている?

公表された訃報では死因が肺がんとされていますが、具体的な診断時期、治療内容、入院期間などの詳細は明らかにされていません。

また、2020年のラジオ番組終了時には、本人が年齢による集中力や根気の衰えについて語っていましたが、当時の発言を肺がんの症状と結びつける根拠はありません。

ラジオ番組の終了と、2026年の死去は別の出来事として理解する必要があります。晩年の働き方や活動の変化だけから、病気の発症時期を推測することはできません。

【妻・麗子さんのコメント】サイダーを飲んで旅立った最期のエピソード

今回の訃報で多くの人の心に残ったのが、妻・久米麗子さんの追悼コメントです。

麗子さんは所属事務所を通じてコメントを発表し、久米さんが亡くなる直前に大好きなサイダーを一気に飲んだことを明かしました。

「久米は、最後まで“らしさ”を通したと思います。大好きなサイダーを一気に飲んだあと、旅立ちました。まるでニュースステーションの最終回でビールを飲みほしたあの時のように。」

――久米麗子さんの追悼コメントより

この言葉には、久米さんらしい自由な表現者としての姿と、夫婦で共有してきた思い出が込められています。

サイダーとビールに重なった2004年の記憶

麗子さんが比較したのは、2004年3月26日に放送された「ニュースステーション」の最終回です。

番組の最後、久米さんは視聴者や関係者への感謝を伝え、ビールを飲み干して番組を締めくくりました。

ニュース番組の最後にキャスターがビールを飲むという演出は、一般的な報道番組のイメージとは大きく異なるものでした。しかし、久米さんにとっては、長年続けてきた番組との別れを自分らしく表現する印象的な場面でした。

妻のコメントは、その約22年後の最期にも同じような姿勢があったことを伝えています。

妻が語った久米宏さんの人柄

麗子さんは、久米さんについて、常に新しいことに挑戦し、純粋な心で世の中の疑問を見つめる人だったと振り返りました。

また、若いスタッフと冗談を交わす時間を好んでいたことや、多くの人に自分の思いを偽らず発信できることが、本人にとって大きな原動力だったことにも触れています。

このコメントから伝わるのは、テレビで見せていた鋭いキャスターの顔だけではありません。番組制作に携わる人たちとの交流を大切にし、自由な表現を楽しんでいた一人の人間としての久米さんの姿です。

【経歴・年表】久米宏さんはどんな人物?フリーアナウンサーとしての歩み

久米宏さんは、単にニュースを読むアナウンサーではありませんでした。バラエティーや音楽番組で培った進行力を報道に持ち込み、キャスター自身の言葉や個性を前面に出すスタイルを確立した人物です。

そのキャリアは、TBS時代、フリー転身後、ニュースステーション時代、そしてラジオ・インターネット時代に分けて整理できます。

久米宏さんの基本プロフィール

  • 名前:久米宏(くめ・ひろし)
  • 生年月日:1944年7月14日
  • 出身地:埼玉県
  • 最終年齢:81歳
  • 最終所属:オフィス・トゥー・ワン
  • 職業:フリーアナウンサー、キャスター、タレント、ラジオパーソナリティー
  • 主な代表番組:「ぴったしカン・カン」「ザ・ベストテン」「ニュースステーション」「久米宏 ラジオなんですけど」

年代別のキャリアと代表的な活動

時期 出来事・担当番組 主な実績・関係
1944年 埼玉県に誕生 7月14日生まれ
1967年 TBSに入社 早稲田大学政治経済学部を卒業後、アナウンサーとして活動開始
1975年〜 ぴったしカン・カン クイズ番組の司会で人気を獲得
1978年〜 ザ・ベストテン 黒柳徹子さんとの司会コンビで音楽番組を盛り上げる
1979年 TBSを退社・フリー転身 活動の幅をテレビ各局へ広げる
1980年〜1987年 おしゃれ 日本テレビのトーク番組で司会を担当
1982年〜1985年 久米宏のTVスクランブル 報道・社会問題を独自の視点で扱う
1985年10月〜2004年3月 ニュースステーション テレビ朝日のメインキャスターとして活躍
2006年10月〜2020年6月 久米宏 ラジオなんですけど TBSラジオで約14年間パーソナリティーを務める
2019年10月〜2021年4月 久米*ネット インターネット動画番組を配信
2024年4月 西川美和監督との対談 映画鑑賞など近況を語る
2026年1月1日 肺がんのため死去 81歳。1月13日に所属事務所が公表

この経歴で特に注目したいのは、久米さんが1979年にTBSを退社してフリーになったことです。

当時のテレビ業界では、放送局に所属するアナウンサーが番組の進行を担う形が一般的でした。その中で久米さんは、局の枠にとらわれず、司会者としての個性や発信力を武器に活動しました。

バラエティー番組で身につけたテンポのよい会話や、出演者の言葉を引き出す技術は、後のニュースステーションにも生かされていきます。

【ニュースステーション最終回】2004年3月26日、久米宏さん最後の挨拶

久米宏さんの代表作として、最も広く知られているのがテレビ朝日系の「ニュースステーション」です。

同番組は1985年10月に放送を開始し、2004年3月26日に最終回を迎えました。久米さんは18年を超える期間、メインキャスターとして番組の中心に立ち続けました。

従来のニュース番組とは異なるキャスター像

ニュースステーションが登場した当時、夜の報道番組は、アナウンサーが原稿を正確に読み上げる形式が中心でした。

一方、久米さんはニュースの内容だけでなく、自身の言葉や表情、疑問、時にはユーモアも交えながら番組を進行しました。

ニュースの背景を視聴者に伝えると同時に、政治家や専門家に質問し、社会問題について自分の考えを示す。こうしたキャスターの存在感を前面に出す番組構成は、民放の報道番組に新しい可能性を示しました。

テレビ朝日も訃報発表後の公式コメントで、久米さんが日本のテレビ報道における新しいスタイルのニュース番組を切り開いたと評価しています。

2004年3月26日の最後の挨拶

最終回で久米さんが視聴者に伝えた別れの言葉は、現在も映像で振り返ることができます。

「じゃ、乾杯。本当にお別れです。さよなら!」

――「ニュースステーション」2004年3月26日最終回

この場面では、久米さんがビールを飲み干して番組を締めくくりました。

しかし、最後の挨拶は単なる感傷的な別れではありませんでした。

久米さんは、民放が国民を戦争へと誤った方向に導いた過去を持たないことに触れ、これからもそうしたことがないよう願う趣旨の言葉を残しています。

番組を終える瞬間にも、報道機関の社会的責任について語った点は、久米さんのキャスターとしての姿勢を象徴しています。

なぜ最終回の映像が再び注目されたのか

2026年1月13日、テレビ朝日は久米さんの訃報を受けて、最終回の最後の挨拶を紹介する映像を公開しました。

妻の麗子さんが最期のサイダーを最終回のビールに重ねたこともあり、2004年の映像は久米さんの人生を振り返るうえで象徴的な意味を持つようになりました。

番組を終える際も、人生の最後について妻が語った場面でも、飲み物を通じて久米さんらしさが伝えられたことは、長年の視聴者にとって印象深い出来事だったはずです。

【晩年の活動】2020年以降の久米宏さんは何をしていた?映画とラジオのその後

久米宏さんの晩年を理解するうえで重要なのが、2020年の「久米宏 ラジオなんですけど」終了です。

テレビの第一線を退いた後もラジオで時事問題や文化について語り続けていましたが、2020年6月に約14年間続いたレギュラー番組が終了しました。

約14年間続いたラジオ番組を2020年に終了

「久米宏 ラジオなんですけど」は2006年10月7日にTBSラジオでスタートしました。

当初は小島慶子さんがアシスタントを務め、その後、堀井美香さんが担当。久米さんの時事問題に対する鋭い視点や、ゲストとの自由な会話が番組の魅力でした。

2020年6月6日の放送で、久米さん本人が同月いっぱいでの番組終了を発表しています。

終了理由については複数あると説明し、年齢による言い間違いや集中力、根気の衰えなどを挙げました。

また、番組が下降線をたどってから終えるのではなく、良い状態のうちに区切りをつけるという自身の考えも語っています。

この決断には、長年にわたって放送の現場に立ってきたプロフェッショナルとしての美学が表れていました。

インターネット番組「久米*ネット」でも発信

2019年10月からは、インターネット動画番組「久米*ネット」にも取り組んでいました。

テレビやラジオの枠にとらわれず、社会問題や多様な価値観について自由に語る番組で、2021年4月まで配信されました。

従来のテレビ番組とは異なる発信方法を選んだ点にも、新しいメディアに挑戦する久米さんの姿勢が表れています。

2024年のインタビューで明かした近況は映画鑑賞

久米さんの晩年を知るうえで貴重なのが、2024年4月に行われた映画監督・西川美和さんとの対談です。

この対談は「文藝春秋」2024年7月号に掲載され、2026年1月の訃報後には文春オンラインでも改めて紹介されました。

対談で久米さんは、最近は映画ばかり見ていると語り、週に2回ほど試写会に通い、月に8本から10本ほど映画を見ていると明かしています。

また、西川さんとは広島東洋カープのファンという共通点があり、チームの勝敗をめぐって連絡を取り合う関係だったことも語られています。

テレビやラジオのレギュラー出演がなくなった後も、映画やスポーツなど、自分が関心を持つ分野に向き合っていたことが分かります。

この2024年の対談は、亡くなる前の久米さんの人柄や日常を知るうえで、特に価値のある記録です。

【プロの結論】久米宏さんが日本のテレビ報道に残した功績とは

久米宏さんの功績を考える際、単純に出演番組の数やキャスター歴だけを評価基準にするのは十分ではありません。

本当に大きかったのは、ニュースを伝える人間の役割を変えたことです。

ニュースを読む人から、ニュースを問い直す人へ

久米さんがニュースステーションで示したのは、キャスター自身が疑問を持ち、その疑問を視聴者と共有しながらニュースを掘り下げるという姿勢でした。

軽妙な会話やユーモアを取り入れながらも、政治や社会の問題では鋭い質問を投げかける。その振れ幅が番組に独自の個性を生み出しました。

一方で、キャスターが強い個性を持つことには、発言の影響力や公平性への責任も伴います。久米さんの仕事は、報道番組における個性と中立性のバランスを考えるきっかけにもなりました。

テレビからラジオ、そしてインターネットへ

久米さんのキャリアは、メディア環境の変化とも重なっています。

テレビの大型報道番組で活躍した後、ラジオでは長時間のトークを通じてリスナーと向き合い、さらにインターネット番組にも活動の場を広げました。

どのメディアでも共通していたのは、用意された言葉をそのまま伝えるのではなく、自分の言葉で考えを表現することでした。

久米宏さんの情報を振り返る際に押さえたい3つのポイント

  • 現在の状況と過去の映像を区別する:ニュースステーションの映像や過去のインタビューが再公開されても、現在の出演活動を意味するわけではない。
  • 死因は公式発表を基準にする:肺がんによる死去は所属事務所が公表した事実。診断時期や治療経過まで推測しない。
  • 本人の発言と家族の追悼コメントを区別する:サイダーのエピソードは妻・麗子さんが公表した最期の思い出であり、医療上の死因を説明するものではない。

久米宏さんの仕事を振り返ることは、過去の人気番組を懐かしむだけではありません。キャスターが社会に対してどのような問いを投げかけ、どのような責任を持って発言するべきかを考えることにもつながります。

【久米宏の現在】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:久米宏さんは現在も生きていますか?
A1:いいえ。久米宏さんは2026年1月1日、肺がんのため81歳で亡くなりました。所属事務所が1月13日に正式発表しています。

Q2:久米宏さんの死因は何ですか?
A2:死因は肺がんです。所属事務所オフィス・トゥー・ワンが公表しました。具体的な発症時期や治療内容については公表されていません。

Q3:妻の麗子さんはどのようなコメントを発表しましたか?
A3:「大好きなサイダーを一気に飲んだあと、旅立ちました」と明かしました。また、その姿を「ニュースステーション」最終回でビールを飲み干した場面に重ね、最後まで久米さんらしさを通したと振り返っています。

Q4:「ニュースステーション」の最終回はいつですか?
A4:2004年3月26日です。久米さんは最後の挨拶で「じゃ、乾杯。本当にお別れです。さよなら!」と述べ、ビールを飲み干して番組を締めくくりました。

Q5:久米宏さんは晩年、どのように過ごしていましたか?
A5:2020年6月にTBSラジオのレギュラー番組が終了し、2021年4月にはインターネット番組の配信も休止しました。2024年4月の対談では、週2回ほど試写会に通い、月8〜10本の映画を見ていると語っています。

Q6:久米宏さんの代表的な出演番組は何ですか?
A6:「ぴったしカン・カン」「ザ・ベストテン」「ニュースステーション」「久米宏 ラジオなんですけど」などです。特にニュースステーションでは1985年から2004年までメインキャスターを務めました。

まとめ:久米宏さんが残した言葉とキャスターとしての足跡

久米宏さんは2026年1月1日、肺がんのため81歳で亡くなりました。1月13日に所属事務所が訃報を公表し、妻・麗子さんがサイダーにまつわる最期のエピソードとともに、夫への感謝を伝えました。

1967年のTBS入社から、1979年のフリー転身、「ザ・ベストテン」での司会、そして18年を超える「ニュースステーション」での活躍。さらにラジオやインターネット番組まで、久米さんは時代ごとに異なるメディアで自分の表現を追求してきました。

2004年3月26日の最終回でビールを飲み干した姿と、妻が語った最期のサイダーのエピソード。その二つの場面には、自由な表現者として最後まで自分らしく生きた久米さんの姿が重なります。

ニュースを伝えるだけではなく、ニュースに疑問を投げかけ、視聴者とともに考える。久米宏さんが日本のテレビ報道に残したこの姿勢は、番組映像や記録、後進のキャスターたちの仕事を通じて、これからも振り返られていくはずです。

主な確認資料: 所属事務所の訃報を伝えた日刊スポーツ、テレビ朝日の公式追悼コメントと最終回映像、TBSの訃報報道、2024年の文藝春秋対談、ラジオ番組終了時の報道。

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榊原 真央

取材デスクとして10年以上の取材経験。geinou領域の公式発表・配信元の告知を一次情報として確認し、確認できない情報は記事に含めない方針です。

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