グルメリポーターとしておなじみの彦摩呂は、若い頃、現在のふくよかな姿からは想像できないほどスリムなイケメンだった。1989年にアイドルグループ「幕末塾」のメンバーとしてデビューした当時の体重は、わずか58kg。モデルとしても活動していた端正なルックスは、現在も昔の写真が公開されるたびに話題になっている。
一方、グルメリポーターへの転身後は、食べ歩きの仕事が増えるにつれて体重も増加。最高135kgに達したことを本人が明かしている。しかし、2024年から本格的なダイエットに取り組み、2026年9月には104kgまで減量。さらに同年10月には105.4kgという最新の測定結果も公表した。
なぜ58kgだった青年が135kgまで体重を増やしたのか。そして、還暦を迎えた2026年、どこまで変化したのか。昔の写真、幕末塾時代の経歴、体重の推移、グルメリポーター転身の背景、31kg減量の経緯を時系列で整理する。
【昔の写真を検証】彦摩呂の若い頃はモデル出身のイケメンだった!
彦摩呂の昔の写真を見ると、まず目を引くのが、現在とは大きく異なる顔立ちと体格だ。シャープな輪郭、すっきりした首元、整った目鼻立ちが特徴で、アイドルとして活動していたことにも納得できる雰囲気がある。
実は、彦摩呂は最初から芸能界のタレントを目指していたわけではない。高校時代に大阪のファミリーレストランでアルバイトをしていたところ、来店したプロのカメラマンに声をかけられたことがモデル活動のきっかけだった。
17歳でモデル活動を開始、当時はMサイズ
2025年10月の文春オンラインのインタビューで、彦摩呂本人は17歳の頃にモデル活動を始めたと振り返っている。
当初は身長が170cmだったことから、モデルになれるのか不安を感じていたという。しかし、紳士服売り場のポスターやカタログなどの仕事を経験し、徐々に活動の幅を広げていった。
当時の服のサイズについても、本人はMサイズだったと説明している。現在は4Lになったとユーモアを交えて語っており、昔と現在の体格の違いを本人も率直に受け止めている。
また、モデル時代の体重は55kg程度だったという。芸能界デビュー時には56~58kgだったと語っており、58kgという数字は複数の報道でも紹介されている。
昔の写真は本人のSNSや過去のドラマでも確認できる
彦摩呂は自身のInstagramで、20歳頃のモデル時代の写真や幕末塾時代の写真を公開している。
2024年1月には、成人の日に合わせて20歳頃の写真を複数枚披露。「私も二十歳がありました~」という趣旨のコメントとともに、当時の若々しい姿を紹介した。
また、2022年1月には幕末塾時代の写真も公開。パフォーマンス中と思われる姿など、アイドルとして活動していた頃の貴重な写真が注目を集めた。
さらに2026年4月には、1993年放送のドラマ『白鳥麗子でございます!』に出演していた頃の写真も公開。共演者の萩原聖人と並ぶ当時の姿が紹介され、若い頃のビジュアルが改めて話題になった。
これらの写真から分かるのは、彦摩呂が単に昔は痩せていたというだけではないことだ。モデルとしての経験を持ち、アイドルや俳優としても活動していた、正統派の芸能人としてのキャリアが現在のグルメリポーター像の前に存在していたのである。
【幕末塾のアイドル時代】1989年デビュー当時は58kg!
彦摩呂の昔を語るうえで欠かせないのが、アイドルグループ「幕末塾」だ。
現在はグルメリポーターとして広く知られているが、芸能界での本格的な活動はアイドルグループのメンバーとして始まった。所属事務所の太田プロダクションの公式情報や本人の公式サイトでも、その経歴が紹介されている。
1988年のコンテストで準グランプリを獲得
彦摩呂は1988年5月、フジテレビ主催の「ナイスガイ・コンテスト」に出場し、準グランプリを獲得した。
グランプリは吉田栄作。コンテストの司会は片岡鶴太郎と浅野ゆう子が務めた。本人の2025年のインタビューによると、このコンテストをきっかけに太田プロダクションからスカウトされ、芸能界入りしたという。
当時の幕末塾は、秋元康がプロデュースしたパフォーマンスグループだった。彦摩呂は結成メンバーの一人で、リーダーを務めた。
幕末塾のデビュー曲はTM NETWORKのカバー
幕末塾は1989年4月、TM NETWORKの楽曲「Come on Let's Dance」のカバーでメジャーデビューした。
公式プロフィールによると、3枚目のシングル「時代を殴るには自分の素手がいい」はTBS系ドラマ『びんた』の主題歌にも採用され、日本青年館での公演や全国ツアーも展開していた。
ただし、当時は歌番組の勢力図が変化していた時期でもある。本人は文春オンラインのインタビューで、1988~1989年頃は『ザ・ベストテン』などの歌番組が終了し、バンドブームが到来するなど、アイドルを取り巻く環境が大きく変わっていたと振り返っている。
幕末塾は一世風靡セピアに憧れ、原宿の歩行者天国でもパフォーマンスを行っていたという。単なる歌手活動にとどまらず、演技や舞台にも挑戦していたグループだった。
アイドルから俳優、そしてリポーターへ
彦摩呂はアイドル活動と並行して俳優業にも進出した。太田プロダクションの公式プロフィールには、映画『冬物語』(1989年)、『ファンシィダンス』(1990年)、ドラマ『刑事貴族3』などの出演歴が掲載されている。
その後、1990~1991年に放送された日本テレビ系『山田邦子の旅くらぶ』でリポーターとしての活動を開始。本人は、人と会うことが好きだったため、情報番組のリポーターになりたいと事務所の社長に直談判したと明かしている。
重要なのは、グルメリポーターへの転身が単なる仕事上の偶然ではなかった点だ。人懐っこさを生かして人と接する仕事をしたいという本人の希望が、現在につながるキャリアを生み出した。
【体重推移を年表で検証】58kgから最高135kgまでの変化
彦摩呂の体重は、アイドル時代の58kgから徐々に増加し、2016年には120kg、2020年代には130kg台に達したと報じられている。
ただし、各時点の数値は本人の過去の発言や番組での測定、報道された時期によって異なる。特に最高体重135kgとダイエット開始時134kgは、同じ測定時点の数字ではない。
| 時期 | 体重・出来事 | 主なポイント |
|---|---|---|
| 1988年 | 約55kg | モデル活動。Mサイズの服を着用。 |
| 1989年 | 56~58kg | 幕末塾のメンバーとしてメジャーデビュー。 |
| 1990~1991年 | 体重の公表なし | 『山田邦子の旅くらぶ』でリポーター活動を開始。 |
| 2005年 | 体重の公表なし | 「海の宝石箱や~!」が生まれ、食リポの知名度が上昇。 |
| 2016年12月 | 120kg | テレビ番組で本人が体重を明かした。 |
| 2023年頃 | 体重の公表なし | パーソナルジムに通い始めたことを2026年に公表。 |
| 2024年8~9月 | 約134kg | ダイエット企画を開始。本格的な減量へ。 |
| 2025年9月頃 | 107kg | 本人が近々の最高体重133kgから26kg減と説明。 |
| 2026年9月 | 104kg | 最高135kgから31kg減量したと報道。 |
| 2026年10月9日 | 105.4kg | 公式YouTubeの結果発表で測定。100kg未満の目標は未達。 |
この年表で注目したいのは、2016年の120kgから2020年代の135kgまで、長い時間をかけて体重が増えていったことだ。
2016年12月のマイナビニュースによると、彦摩呂は当時の体重を120kgと説明し、1年間に3~5kg程度ずつ増えた時期があったと振り返っている。
一方、2025年の文春オンラインのインタビューでは、近々の最高体重を133kgと説明。その後、2026年のABEMA関連報道では最高135kgという数字が紹介された。
また、2024年8月に始まったダイエット企画の開始時は134kgと報道されている。したがって、135kgは本人が語った人生最高体重、134kgは今回の減量企画のスタート時点の数字として整理すると理解しやすい。
【なぜ太った?】彦摩呂の激太りを招いたグルメリポーターの仕事
彦摩呂が太った理由として本人が繰り返し語っているのは、グルメリポーターという仕事の特殊性だ。
一般的な食事と違い、食レポの現場では仕事として複数の料理を試食する。しかも、料理の魅力を伝えるためには、実際に食べて味や食感を表現する必要がある。
1日に10軒を回ることもあった食レポの現場
2026年9月のオリコン報道によると、彦摩呂は仕事が増えるにつれて、多い日には1日10軒をハシゴするほどの食レポをこなしていた。
本人は2025年の文春オンラインのインタビューでも、食レポの仕事が忙しくなるにつれて食べる量が増えた経緯を説明している。
32~34歳頃から周囲に太ったと指摘され始め、36歳頃から体重が急激に増えたという。
本人によれば、特に忙しい時期は朝から晩まで食べ物に関する番組の仕事が続いた。未明の午前4時から午前6時まで、銀座のフレンチのフルコースを食べる仕事を引き受けたこともあったという。
このエピソードからも、食事の時間や回数が一般的な生活リズムとは大きく異なっていたことが分かる。
料理を残さないというプロ意識も体重増加の一因に
もう一つの理由は、出された料理をできるだけ残さないという本人の仕事に対する考え方だった。
彦摩呂は、料理を褒めた後に残してしまうと、店側から本当はおいしくなかったのではないかと思われる可能性があると説明している。
そのため、料理のおいしさを伝える責任を果たす意味でも、以前は完食することを大切にしていたという。
2025年のインタビューでは、1日に1万キロカロリーを食べる日もあったと振り返っている。これは本人が語った極端な仕事上の食事量であり、毎日の平均摂取量を意味するものではない。
つまり、彦摩呂の体重増加は単純に食べることが好きだったからという話ではない。仕事の依頼が増えるほど試食の機会が増え、完食する姿勢も重なったという、職業特有の構造が背景にあった。
体重増加によって膝にも負担がかかった
体格が大きくなるにつれ、身体への負担も深刻になっていった。
本人は文春オンラインのインタビューで、100kgを超えた頃から膝が痛くなり、現在は軟骨がすり減っていると説明している。
2026年のABEMA『NO MAKE』に関する報道でも、変形性膝関節症を患い、通常の運動による減量が難しい状態だったことが伝えられた。
血液検査では糖尿病が近い状態だと医師から警告され、脂肪肝なども指摘されたという。
体重が増えることで食レポの仕事に対する印象が変わり、健康面の不安も大きくなった。減量を決意した背景には、見た目だけではない切実な事情があった。
【31kg減量の経緯】彦摩呂は2026年に104kgまで体重を落とした
彦摩呂が本格的なダイエットに取り組むきっかけとなったのは、健康診断や血液検査での医師からの警告だった。
2026年9月に配信されたABEMAの密着型ドキュメンタリー『NO MAKE』では、ダイエットを決意した理由や、過去の失敗、今回の減量方法について本人が語っている。
2024年から始めた「イケオジ計画」
彦摩呂は2024年8月、自身のYouTubeチャンネルで「イケオジ計画」と題したダイエット企画を始めた。還暦を迎えるまでに体重を2桁にすることが目標だった。
企画開始時の体重は約134kg。なお、2023年頃からパーソナルジムにも通っていたことを、2026年になって初めて明かしている。
本格的なダイエット開始は2024年9月と報じられており、血液検査で糖尿病のリスクを指摘されたことが大きな転機になった。
過去の急激なダイエットではリバウンドを経験
彦摩呂は過去にもテレビ番組のダイエット企画に参加した経験がある。
しかし、急激な炭水化物制限や有酸素運動を取り入れた方法では、企画が終わってトレーナーや栄養士のサポートがなくなると、猛烈なリバウンドを経験したという。
その経験から、今回は無理に短期間で体重を落とすことを避け、医療機関の専門家に相談しながら減量する方法を選んだ。
変形性膝関節症によって運動の負担が大きかったことも、医療ダイエットを取り入れた理由の一つだ。
2025年には107kg、2026年9月には104kgを報告
減量は一気に進めるのではなく、時間をかけて行われた。
2025年10月の文春オンラインのインタビューでは、本人が同年9月の測定で107kgになったと説明。近々の最高体重133kgから26kg減ったことを明かしている。
そして2026年9月、ABEMAの『NO MAKE』への出演を通じて、最高135kgから104kgまで減量したことが報道された。
オリコンが2026年9月24日に伝えた記事では、2年間かけて31kgの減量に成功したと紹介されている。
「視聴者に心配かけてる場合じゃない」
これは彦摩呂が減量に取り組む理由として語った言葉の一部だ。
食べる姿を見て視聴者に料理のおいしさを伝える仕事なのに、食事中に身体を心配されてしまっては本末転倒。グルメリポーターとして仕事を続けるためにも、健康面を改善したいという思いがあった。
2026年10月9日には105.4kgを公表
ここで押さえておきたいのが、2026年9月の104kgという報道と、その後の測定結果の違いだ。
彦摩呂は2026年10月9日、自身の公式YouTubeチャンネルで2年間にわたるダイエット企画の結果を発表した。
当初掲げていた目標は、還暦を迎えるまでに99.9kgを達成すること。しかし、結果発表時の測定値は105.4kgだった。
ENCOUNTや女性自身の報道によると、本人は目標達成には至らなかったことを認め、ダイエットの継続を表明している。
したがって、2026年11月2日時点で確認できる最新の具体的な公表体重は、10月9日の105.4kgだ。9月に報じられた104kgと混同しないことが大切である。
【昔と現在を比較】彦摩呂の変化と「宝石箱や~!」の誕生秘話
彦摩呂の昔と現在を比較すると、体格の変化だけでなく、芸能人としての役割そのものが大きく変わっている。
若い頃はモデルやアイドル、俳優として活動していたが、現在は独自の表現力を持つグルメリポーターとして確固たる地位を築いた。
「海の宝石箱や~!」は2005年に生まれた
彦摩呂の代名詞ともいえる「海の宝石箱や~!」は、2005年頃に誕生したフレーズだ。
2024年9月のABEMA TIMESの番組紹介によると、きっかけは北海道での海鮮丼の食レポだった。
撮影機材の光に照らされた刺身がキラキラと輝いているのを見て、自然に「海の宝石箱や~!」という表現が飛び出したという。
本人は、食べ物を別のものに例える表現は番組でカットされると思っていたそうだ。しかし、実際には字幕付きで放送され、大きな反響を呼んだ。
それまでの食レポは、ジューシー、プリプリ、サクサクといった食感や味を表す言葉が中心だった。彦摩呂はそこに比喩や擬人化を取り入れ、料理を見た瞬間の驚きや感動を言葉にするスタイルを確立した。
体型の変化がキャラクターの認知にも影響した
現在の彦摩呂は、ふくよかな体格と親しみやすい表情、独特の関西弁による食レポが強い印象を残している。
しかし、昔の写真を見ると、もともとは細身で端正な顔立ちを持つモデル・アイドルだったことが分かる。
このギャップが注目される理由は、単なる外見の変化だけではない。長年にわたりテレビに出演し、視聴者の記憶の中で現在のキャラクターが定着しているからだ。
2026年の減量後も、昔のような体型に戻ったわけではない。それでも30kg以上の減量によって輪郭や首元などの印象が変わり、昔の写真と比較する人が増えている。
減量してもグルメリポーターとしての魅力は変わらない
彦摩呂の仕事の本質は、単にたくさん食べることではない。料理の特徴を見つけ、視聴者が食べてみたいと思える言葉に置き換えることだ。
そのため、減量によって食べる仕事を辞める必要はない。実際、2026年10月時点でも公式YouTubeチャンネルでは食レポ動画などを公開している。
むしろ健康状態を改善しながら仕事を続けることは、本人にとっても視聴者にとっても大きな意味を持つ。
【2026年最新】彦摩呂の現在は60歳!減量継続と今後の目標
彦摩呂は1966年9月15日生まれ、大阪府出身。太田プロダクションに所属するタレント・俳優・グルメリポーターだ。
2026年9月15日に60歳の還暦を迎えた。昔のアイドル時代から約37年の芸歴を重ね、現在もテレビやラジオ、YouTubeなどで活動を続けている。
100kg未満の目標は達成できず、ダイエットは継続
2026年10月9日のYouTubeで公表された105.4kgという結果は、目標の99.9kgには届かなかった。
本人は結果発表の際、目標達成できなかったことを報告し、ダイエット企画の継続を申し出ている。
女性自身の2026年10月11日の報道でも、彦摩呂は体重105.4kgで目標を下回れなかったことを認め、ダイエットを続ける考えを語っている。
また、減量によって立ち上がりやすくなったといった身体の変化も報じられている。体重の数字だけでなく、日常生活の動きやすさも本人にとって重要な成果だ。
本人が目指すのは健康的に仕事を続けられる身体
減量の目的は、昔の58kgに戻ることではない。
2025年の文春オンラインのインタビューでは、本人は昔のような体型に戻ることは難しいとし、健康的な体型を目指していると話している。
また、2026年9月の報道では、将来的に人工関節を入れる手術を受け、歩けるようになれば運動もできるようになり、俳優業にも取り組みたいという希望を語っていた。
これは、グルメリポーターとしての活動だけでなく、かつて取り組んでいた芝居にも再び挑戦したいという意欲を示すものだ。
2026年11月現在、最新の具体的な体重として公表されているのは105.4kg。今後の目標は100kg未満への到達と、健康を維持しながら芸能活動を続けることにある。
【彦摩呂の昔】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:彦摩呂の若い頃の体重は何kgでしたか?
A1:モデル時代は約55kg、1989年の幕末塾デビュー当時は56~58kgだったと本人が語っています。現在とは大きく異なる細身の体型でした。
Q2:彦摩呂は昔、どこのアイドルグループに所属していましたか?
A2:秋元康プロデュースの「幕末塾」です。1989年4月にTM NETWORKのカバー曲「Come on Let's Dance」でメジャーデビューし、彦摩呂はリーダーを務めました。
Q3:彦摩呂の昔の写真はどこで見られますか?
A3:本人のInstagramで公開された20歳頃のモデル時代の写真や幕末塾時代の写真、1993年のドラマ『白鳥麗子でございます!』出演時の写真などが確認できます。
Q4:彦摩呂はなぜ135kgまで太ったのですか?
A4:グルメリポーターとして1日に複数の飲食店を回り、料理を試食する仕事が増えたことが大きな理由です。本人は、以前は出された料理を完食することも大切にしていたと説明しています。
Q5:彦摩呂は2026年に何kg痩せましたか?
A5:最高135kgから2026年9月には104kgまで減量し、31kg減と報じられました。ただし、10月9日の測定では105.4kgとなっており、減量は継続中です。
Q6:彦摩呂の現在の体重は何kgですか?
A6:2026年11月2日時点で確認できる最新の具体的な測定結果は、2026年10月9日に公表された105.4kgです。
Q7:彦摩呂の「宝石箱や~!」はいつ生まれたのですか?
A7:2005年頃、北海道の海鮮丼を紹介するロケで生まれました。撮影機材の光に照らされて輝く刺身を見て、自然に出た表現だったと本人が振り返っています。
まとめ:彦摩呂の昔と現在を比較すると見える37年の芸能人生
彦摩呂の昔を振り返ると、モデルとして活動していた細身の青年が、幕末塾のアイドルとして1989年にデビューし、俳優やリポーターを経て、日本を代表するグルメリポーターへと成長していった軌跡が見えてくる。
デビュー当時の体重は58kg。その後、食レポの仕事が増えるにつれて体重も増加し、最高135kgに到達した。仕事上の食事量や完食する習慣が背景にあった一方、膝の不調や糖尿病のリスクを指摘されたことが、2024年からの本格的なダイエットにつながった。
2026年9月には31kg減の104kgを報告し、10月9日には105.4kgという測定結果を公表。還暦を迎えてもなお、100kg未満という目標に向けて挑戦を続けている。
彦摩呂の変化を理解するうえで大切なのは、昔の58kgという数字や現在の105.4kgだけで人物を評価しないことだ。モデル、アイドル、俳優、グルメリポーターと、時代に合わせて自分の持ち味を生かしてきたキャリアそのものに注目したい。
「海の宝石箱や~!」という名フレーズを生み出した表現力と、人懐っこいキャラクターは今も健在だ。今後は健康面の改善とともに、グルメリポーターとしての活動、そして本人が希望する俳優業への再挑戦にも期待が集まる。